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直接民主制が促す反イスラムとの対話

顔を隠し武装した男性のイラスト
swissinfo.ch

2011年の米同時多発テロ以来、それまでの反ユダヤ・反共産に代わり反イスラムが唱えられるようになった。それを吸い上げたのが直接民主制だ。

頭をベールで覆い、機関銃を携えた3人の男性。これは今、「検証なきアフガン大量難民に反対」運動の看板としてソーシャルメディア上でスイス中に拡散されているイラストだ。運動は「スイスへのムスリム流入」の2年間禁止を訴える。

同時多発テロから20年だった今も、イスラム教信者への反感を全面に出した運動は、スイスのような民主主義が確立した国でも湧き起こる。オーストリアのザルツブルク大学で人種主義や宗教を教える政治学者、ファリド・ハフェツ氏は「こうした運動は多くの人々の不安を駆り立てる。かつての反ユダヤ・反共産主義運動のように」と話す。

使い回されるスローガン

オーストリアでもヘイト・スピーチは繰り返されてきた。ハフェツ氏が思い起こすのは「ウィーンをエルサレムにしてはならない」という1895年のスローガンだ。戦後、政治的なブームに応じて「ウィーンをモスクワにしてはならない」「ウィーンをシカゴにしてはならない」と姿を変えて使い回された。「9・11以降は極右大衆迎合主義のオーストリア自由党が唱える『ウィーンをイスタンブールにしてはならない』が中心となった」

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1930~40年代にスイスでファシズム運動を率いた政党「国民戦線」は33年、スイスからユダヤ人や共産党員を「一掃」すると公言(左)。2009年の「ミナレットイニシアチブ」はスイスの「イスラム化」を食い止めると喧伝した(右) swissinfo.ch

独マーブルクの政治学者テオ・シラー氏は「民主的な意見形成のプロセスは、どんなテーマが社会を変えるのかを示す体温計のような機能を持つ」と説明する。民主主義においては、政治上の対話が利益関心の調整役を担ってきたからだ。

民主主義を研究するシラー氏は、そうした発展の一例として独バイエルン・キリスト教社会同盟の党首を務めたフランツ・ヨーゼフ・シュトラウスを挙げる。その登場は60年代、強烈な反共産主義の象徴として捉えられ、72年のミュンヘン五輪でのパレスチナ解放機構(PLO)によるテロ事件や、極左テロ組織「ドイツ赤軍」によるドイツ政治家襲撃を機に、シュトラウスの台頭はピークを迎えた。

だが何度も選挙に敗れたシュトラウスは、偏った言葉遣いを控えるようになった。そして対話方針に舵を切り、ドイツ民主共和国やソ連にも向き合った。現在進行中のドイツ総選挙戦でも、右派「ドイツのための選択肢(AfD)」が似たような方針を表明した。「近年の反イスラム的な言い回しは、民主的な日常生活では古臭くなってしまった」(シラー氏)

宗教少数派を標的に

直接民主制という国民の権利が確立しているスイスでは、小さな政治勢力がイニシアチブやレファレンダムを通じて意見形成に影響力を及ぼすことができる。過去650件の国民投票のデータバンク「Swissvotes」を運営するベルン大学のマルク・ビュールマン氏は「スイスにはアンチを掲げたイニシアチブの長い歴史がある」と話す。「1893年に初めて成立したイニシアチブは、ユダヤ教の慣習や畜殺に関するものだった」という。20世紀には反共産主義の提案が多く国民投票にかけられた。「2000年代に入ると、反イスラム教的な提案が俎上(そじょう)に乗り、世界の注目を集めた」

かつての西側に広がった反共産主義もスイスに影響を及ぼした。特に軍需品の調達に関する政治議論ではそれが目立った。高額出費を正当化するためには仮想敵国が必要だったからだ。冷戦中には当時の空軍長曰く「モスクワに核爆弾を輸送」できる軍用機ミラージュの購入を決めた。

イニシアチブが対話を深める

9・11後はイスラム教がその役割を引き継いだ。「だがそこでは、武力を伴うイスラム過激派と、純粋なイスラム教信者が一緒くたにされた」(ハフェツ氏)

それこそが、09年の「ミナレット禁止イニシアチブ」や21年の「ブルカイニシアチブ」が国民投票で可決された背景にある問題だ。ベルン大のビュールマン氏は、それらは長期的にみれば異なる利益団体の間に対話をもたらしたと指摘する。

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世界中でベストセラーになった「民主主義を救え!」の著者米ハーバード大講師のヤシャ・モンク外部リンク氏は、反共産・反イスラムを明確に掲げる政治発言やイニシアチブよりも、暴力を賛美する思想に今も根強い支持者がいるという事実に注目する。「強い民主主義には強力な民主的制度が必要だ。例えば貴重な財産である表現の自由や、米国が経験したような反民主主義的な風潮の拒否がそれだ」。そして処方箋は「民主主義の強化」しかない。

写真で見る民主主義の節目

壁の上に立つ人々
Thierlein/Ullstein Bild

1989年ドイツ ベルリンの壁崩壊

ベルリンの壁が崩壊し東欧革命が起こったこの年、米政治学者のフランシス・フクヤマは「歴史の終わり」と評した。だが東西対立はまもなく新しい紛争をもたらし、イスラム教はその中心に立たされた。新たな戦争が起きた一方、結果として希望に満ちた改革や民主的な話し合いも生まれた。

爆炎
Bruno Barbey/Magnum Photos

1991年クウェート・イラク 第二次湾岸戦争

破壊されたイラク軍の戦車を囲むアメリカ兵。米国はペルシャ湾に新たな東西対立の境界を引いた。

倒れた銅像
Leo Erken/laif

1991年ソ連崩壊

フランシス・フクヤマ氏に「歴史の終わり」と呼ばれた。   

テロ攻撃を受けたビルと逃げ惑う人々
Susan Meiselas / Magnum Photos

2001年米国 同時多発テロ事件

米国の権力を象徴する建物へのテロ攻撃を受け、ジョージ・W・ブッシュ大統領は「テロとの戦い」を呼び起こした。

兵士
Keystone / Laurent Rebours

2003年イラク 第三次湾岸戦争

米国は英国やデンマークなど北大西洋条約機構(NATO)加盟国とともに、近東に「西側」の価値観を植え付けようと試みた。

金網の向こうのプラカード
Keystone / Salvatore Di Nolfi

2009年スイス ミナレット禁止イニシアチブ

9.11への答えとして、スイスはイスラム教を象徴するミナレット(尖塔)の新設禁止を憲法に盛り込む改正案を国民投票にかけた。

肩車でシュプレヒコールを上げる男性
Keystone / Muhammed Muheisen

2011年アラブの春

チュニジアを皮切りに、複数のアラブ国家で数百万人の若者が独裁政権に対抗の声を上げた。

全身をベールに包んだ女性たち
Ti-press / Pablo Gianinazzi

2013年スイス・ティチーノ州 ブルカ禁止

スイスではさらに反イスラムを象徴する決定が下された。ティチーノ州は住民投票でブルカ禁止案を可決した。

花束に囲まれた記念碑
Keystone / Ian Langsdon

2015年フランス パリ同時多発テロ事件

テロ組織「イスラム国(IS)」のテロ襲撃により128人が犠牲となった。

鋭い目つきの女性を描いたポスター
Reuters / Arnd Wiegmann

2021年スイス ブルカイニシアチブ

9.11から20年経ったスイスでは、国民投票で「公共の場でのベール着用禁止」が可決された。

武装した男性たち
Keystone / Stringer

2021年アフガニスタン カブール陥落

アフガニスタンを外部から軍事力で平和にするという米国の試みが象徴的な終焉を迎えた。

(独語からの翻訳・ムートゥ朋子)

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