スイスで目覚めたフランス人の新型肺炎患者

ジャン・ポール・マルタンさんが運ばれたフリブールの病院の集中治療室 Keystone / Anthony Anex

3月、新型コロナウイルスの波が欧州を襲った時、フランスの病院の受け入れ能力は限界に達した。でも隣国スイスにはまだ余力があった。スイスは仏国境の病院から、新型コロナウイルス感染症患者の受け入れに同意し、これまでに49人の患者がスイスの病院で手当てを受けた。ジャン・ポール・マルタンさんはそのうちの1人だ。

仏アルザス・マンステール出身のジャン・ポール・マルタンさん (ldd)

「私は大きなブラックホールに落ちた」。ジャン・ポール・マルタンさん(67)は、人工的な昏睡状態に陥った16日間のことを、こう振り返る。それは生と死をさまよった時間だ。

新型コロナウイルス感染症(Covid-19)にかかったフランス人のマルタンさんは、スイス・フリブールの病院に搬送された。彼はこの病院の集中治療室で2週間を過ごした。挿管、つまり人工呼吸器につながれたことによって、マルタンさんの肺がその機能を維持し、免疫システムが病気に打ち勝ったのだ。

入院費を負担するのは誰?

仏アルザス地方の病院が飽和状態になることを見越し、地元の政治家ブリジット・クリンケルト氏はスイスの州に助けを求めた。その訴えは聞き入れられ、計49人のフランス人の新型コロナウイルス感染症患者がスイスの病院に搬送された。

ドイツも、フランスの患者80人を受け入れた。ドイツは入院費用を負担するが、スイスは別だ。連邦内務省保健庁(BAG)は「スイスの被保険者に適用されるのと同じ金額の治療費がフランスの健康保険に請求される」。

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マルタンさんは今、アルザス・コルマールの病院で回復に向かいつつある。リハビリセンターに移る少し前に、電話で本人に連絡が取れた。マルタンさんはswissinfo.chに、経験談を語ってくれた。それが、意識のあったほんの一部分のことだけだったとしても。

無に沈む

マルタンさんと妻モニックさんがアルザス地方の小さな町マンステールで同時に病気にかかったのは3月中旬だった。「咳と熱が出たんです」とマルタンさんは言う。症状がひどく、医者に往診に来てもらった。医者はすぐに、マルタンさんの血中酸素量が異常に低いレベルであることに気が付いた。

マルタンさんは元市職員だが、定年退職し今は年金暮らしの身だ。3月25日、コルマールの病院に運ばれた。「翌日の昼、何かを食べていたのは覚えています。それ以降のことはもう何も…。16日後、フリブールで目が覚めたんです」。

マルタンさんは、自分は運がいい、という。「50日間以上昏睡状態になっている人たちもいる」からだ。当時のことをこう語る。「それは深い眠りです。人工昏睡に入った後に死んでも、何も感じないんだなと思いました」

スイスで目が覚める

自分がスイスにいることに気付いたのは、しばらくたってからだった。親戚を訪ねたりして、スイスのことは少しだけ知っている。だが、フリブールの病院で治療を受けたときの記憶はあいまいだ。「病院のベッドで、よく通ったグリュイエール湖のことを想像しました。少しずつ、文章や会話が頭の中に思い浮かんできます。看護師が私にかけてくれた言葉を覚えています。『ひげを剃りますよ、さっぱりしましょうね』って」

フリブールの病院の看護師は、妻モニックさんに夫の状態を毎日伝えた。マルタンさんは「非常に大切なこと。安心できるつながりでした。それがなければ、家族は愛する人に何が起こっているのかわからないのです。フランスでは、病院のスタッフから情報を得ることは難しいので」と話す。

感謝の気持ち

4月16日、マルタンさんの状態は安定し、コルマールのパスツール病院に戻れることになった。だが土地勘がなくまだ弱っていたため、搬送の時のことは思い出せないという。「ヘリコプターで運ばれたのかどうかも分かりません。まだ書類を確認していないんです。フランスに着いて、ここがどこか聞かれたとき、私はまだ『スイスです』と言ってましたからね」。

病室で、妻とビデオ通話するジャン・ポール・マルタンさん ldd

日を追うごとに、マルタンさんの体が力を取り戻していった。今、マルタンさんは散らばった記憶を手繰り寄せているところだ。「最近になってようやく、自分の身に何が起きたのかがはっきりしたんです」。マルタンさんはとても運が良かったと考えており、スイスとフランスでケアをしてくれた看護スタッフにとても感謝しているという。「国境を越えた患者の移動を実現するため、努力してくれた政治家たちに感謝したい」

孤独

マルタンさんの体は良くなっている。しかし、孤独が辛いという。マルタンさんは他人への感染リスクを防ぐため、1カ月間完全に隔離されている。会うのは、顔をマスクで覆った看護師だけ。「人とのふれあいが本当に恋しい」とマルタンさんはいう。

ビデオ通話で家族と話すことはできる。でも画面の向こうにいる最愛の家族を抱きしめることはできない。「お互いの声を聞き、姿を見ることはできる。でも最後にハグ(抱擁)をしたのは1カ月も前です」。

退院が現実味を帯び、妻、娘、孫を抱きしめることが待ちきれないという。自然の中を散歩することも楽しみだという。

コロナ危機前の写真:登山道のマーキング付けや自然保護活動を行うヴォージュ・クラブに参加したマルタンさん ldd

自然愛好家

会話の中に、「自然」という言葉が何度も登場した。マルタンさんは自然をこよなく愛している。時間を見つけては自然保護団体ヴォージュ・クラブの活動に参加していた。今、マルタンさんは「その活動に進んで参加していた」のは自然なことだったという。この危機で「私たちは万物の頂点ではないことを、自然が思い出させてくれた。ウイルス1つで私たちの生活も、関係も、経済も一変してしまう」

もう少し経てば最愛の家族と対面し、そして88歳の母親の世話をするいつもの生活に戻れる。マルタンさんは「人生をもっと楽しみます。些細な心配事にいちいち気を取られていては、時間の無駄になるから」


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