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「白い金」に挑んで

「鳥かごとカップル」、1775~1779年、チューリヒの磁器、高さ22.5センチメートル、スイス国立博物館蔵 swissinfo.ch

中世の終わりに中国からヨーロッパに伝わった磁器は、一握りの階級のみが享受できる高価な輸入品であった。そのため磁器は17世紀後末から18世紀初めにかけ、「白い金」と呼ばれていた。

この「白い金」を18世紀のスイスでも作ろうとした人々がいた。政治家、企業家、インテリからなるチューリヒのブルジョア階級の人々とヴォー州ニヨン ( Nyon ) の銀行家たちである。

 18世紀後半にスイス国内でただ2つ存在した、チューリヒとニヨンの磁器工房は、おのおのわずか30年程しか続かなかった。しかし、スイスの工房で制作される磁器の繊細な美しさと独特な創造性はヨーロッパでも名が通っていたという。今回、スイス国立博物館 ( シャトー・ド・プランジャン、Château de Prangins ) での「白い金を求めて、チューリヒとニヨンの磁器展」は、こうしたスイスの磁器製造の全貌を知ることのできるまたとない機会である。

磁器の人形も制作したチューリヒの工房、1763~1790年

 会場に入ると、テーブルの上に磁器のお茶のセットと、磁器の人形が置かれているショーケースが目に飛び込んでくる。この展示がチューリヒの磁器制作工房の多くを物語っているといえる。チューリヒはお茶や食事のセットに加え、人形制作で知られていたからである。また、こうしたしゃれた磁器でのお茶会を催したいと望むインテリのブルジョア階級がいたことも工房が作られた理由だった。

 100近い型から作り出されたという人形はすべてロココ調。カップルの人形は、例えば帽子を持つ女性と麦の束を抱える男性が「夏」を表し、黒人の人形がアフリカを表したりと、すべての人形は何かの寓話(ぐうわ)である。これらはお茶会や、お祭り、儀式の際に食器類と一緒にテーブルの上に飾られたという。

 食器類もすべてロココ調。皿などにみられる、皿を縁取る線状に浮き出たレリーフ模様がチューリヒの特徴という。第2の特徴はモチーフに風景画が使われている点である。まるで油絵のように精密な風景の中に人物がアクセントに配置される技法は、ヨーロッパの他の国々でも評判になったという。

 この風景画モチーフを指導したのは、工房のアートディレクター、サロモン・ゲスナーだった。「ゲスナーは画家、詩人、作家、しかも同時に森を所有していて経済的にも工房を支えた人物」とスイス国立博物館磁器担当のハンスペーター・ランツ氏は言う。ゲスナーの叔父は工房創始者の1人で、市長も務めた。こうしたインテリのブルジョアが、実はチューリヒの工房を始めた人々だった。

 「18世紀後半、チューリヒはヨーロッパの文化の中心地であり、ゲーテも住んでいた。インテリ層には、テーブルを囲んで、当時ヨーロッパに入ってきた紅茶、カカオ、コーヒーなどを洗練された磁器で飲みたいという欲求があった」とランツ氏。工房作りは単に、外国からの磁器購入でお金が国外に流出するのを防ぐという経済的な目的だけでなく、こうした文化的な要求があったからだという。

 しかし、この「工房の挑戦」も長くは続かなかった。20人もの職人を抱える工房は30年後に終わりを遂げる。理由は「お金がかかる上、購入できる層が限られていた。そもそも、外国では王侯貴族がパトロンになって磁器製造を支えていた。工房がブルジョア階級で支えられたというチューリヒの奇跡は、それだけで評価されるべき」とランツ氏は結論する。

金がふんだんに使われたニヨンの磁器工房、1781~1813年

 一方、フランス語圏ヴォー州ニヨンの工房を支えたのは、フランスから逃亡してきたプロテスタントのユグノー派の銀行家たちだった。今もニヨン周辺の村には、小さな城が点在するが、こうした城の持ち主である銀行家たちが協会を作って自分たちの食卓を飾るため磁器工房を立ち上げた。

 ニヨンの作風は、その始まりがチューリヒよりわずか20年遅れの1781年にもかかわらず、すでにロココ調から新古典主義になっていた。皿などはレリーフのない平らな形で、カップもまっすぐなすっきりとした線が主体をなす。特に金がさまざまな飾りとして、ふんだんに使われているのが特徴といえる。地肌の輝くような白さもチューリヒのものとは異なる。

 この工房も30年後には幕を閉じる。チューリヒと同様、経済的に続かなかったからである。「お茶のセットを買うのに4カ月分の給料が飛ぶ計算。今でいうと6000フラン ( 約60万円 ) の月収の人で、2万4000フラン ( 約240万円 ) かかったことになる」とニヨンの歴史博物館のキューレーター、バンサン・リーバー氏は説明する。

 今回スイス国立博物館での展覧会は主にチューリヒの磁器を展示し、ニヨンの磁器はわずかな数にとどめてある。なぜならニヨンの磁器を多く展示する歴史博物館のあるニヨン城が、同博物館から徒歩で20分、車で5分の距離にあるからだ。「スイス国立博物館で、チューリヒの磁器を味わった後、ぜひ、ニヨン城でニヨンの磁器を味わって欲しい」とリーバー氏。こうすれば、18世紀のスイスの磁器工房の全貌を知ることができるからである。

swissinfo、里信邦子 ( さとのぶ くにこ ) プランジャンにて

「白い金を求めて、チューリヒとニヨンの磁器展」は2007年9月21日から2008年2月24日まで。
開館時間:11〜17時 ( 月曜閉館 )入場料:7フラン ( 約700円、子供無料 )
電話 :+41 22 994 88 90
住所:Château de Prangins( シャトー・ドゥ・プランジャン)、1197 Prangins
交通手段:車でレマン湖畔をジュネーブからローザンヌ方向に行くとニヨン ( Nyon ) の手前にシャトー・ド・プランジャン ( Château de Prangins ) の駐車場が湖側にある。または、ニヨン 駅からタクシー ( 約10フラン/約1000円 ) かバス ( Prangins village 下車 )
食事 :館内にレストランがある。

磁器は陶器よりはるかに高い温度、1200~1300度で焼かれる、硬く半透明白色の焼き物である。

8世紀、中国に誕生した磁器は、ヨーロッパには中世の終わりに伝わった。その後17世末から18世紀初めのヨーロッパでは、磁器は金にも相当する高価な輸入品となり、「白い金」と呼ばれるようになる。

しかし中国人は白く透明な磁器の製法を、決して明かすことはなかった。ヨーロッパ人が独自に製造を始めるには18世紀、ドイツ、マイセン ( Meissen ) の錬金術師の「発見」を待たなければならなかった。

その後、磁器製造は一気にヨーロッパ中に広まる。スイスではただ2カ所、チューリッヒとヴォー州ニヨン ( Nyon ) に釜ができる。

今回の展示はおのおのおよそ30年しか続かなかったこの2つの釜の、短い期間だが豊かな、スイスに特有の創造性を味わうことができる。

ヴォー州プランジャン( Prangins ) 村のスイス国立博物館は、チューリヒのスイス国立博物館のフランス語圏支部の形を取り、主にスイスの18、19世紀の生活を、文化的、政治的、経済的、社会的側面から総合的に理解できるような常設展を行っている。

18世紀に建てられた華奢な城の様式と、この時代の果物と野菜を集めて栽培している菜園も訪れる価値のあるもの。ジュネーブとローザンヌの間に位置する。

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