国が供給を保証すべき「現金」とは? スイスで国民投票
スイスでは3月8日、連邦憲法に何らかの形で現金の供給を明記するべきか否か、国民投票が実施される。有権者はさらに、デジタル通貨にのっとられる可能性を徹底的に排除するか、緩やかな表現にとどめるか、2つの文言案から選択する。
スイス人の現金との付き合い方
スイス国立銀行(中央銀行、SNB)の報告書外部リンクによると、スイス国民の使う紙幣・硬貨の量は減っている。小売店やレストランなどでの支払いに現金を使う人の割合は2024年で3割と、2017年の7割から大きく減った。15~34歳に限ると2割にとどまる。
代わりに急成長しているのがデビットカードやクレジットカード、スマホ決済(主にTwint)だ。スイス郵便でも窓口決済は取引全体の1%未満に急減し、デジタル・オンライン決済が主流となっている。
現金離れが進んでいるとは言っても、完全に放棄されたわけではない。SNBの報告書によると、調査対象者の68%が「今後も同じように現金を使い続けたい」と考えている。さらに「現金はほとんど使っていないが、今後も使用できる状態であってほしい」との考えも27%に上った。
つまり、現金は未だ根強い人気を誇る。加えて地政学・経済的な不確実性も現金の魅力を高めている。2025年に貴金属商社のフィロロが発表した報告書でも、現金の廃止に反対する人は9割を占め、2023年の7割より増勢している。
国民投票にかけられる提案内容は
3月8日の国民投票にかけられる案は、現金とその利用可能性を連邦憲法に明記するという内容だ。明記に賛成する有権者は二次的に、具体的にどう明記するか、2つの案から1つを選択する。1つは市民の発案したイニシアチブ(国民発議)「硬貨と紙幣を伴う独立・自由なスイスの通貨に賛成を(現金こそ自由)」、通称「現金イニシアチブ」。もう1つは、このイニシアチブを受けて連邦内閣(政府)が策定した対案だ。
イニシアチブ(国民発議)はスイスの直接民主制の根幹を成す制度の1つで、内閣事務局への届け出から18カ月以内に10万人分の署名を集めれば、憲法改正案や新法を国民投票にかけることができる。投票で国民と州それぞれの過半数の賛成を得られれば、提案は法制化される。 くわしくはこちら
スイスでは通常、年に4回の国民投票が実施されるが、2案が選択的に投票に付されるのは実に15年ぶりだ。
イニシアチブ原案の内容は?
イニシアチブを提起したのは市民団体の「自由運動スイス(FBS/MLS)外部リンク」。これまで「ワクチン接種義務の禁止」など(2024年の国民投票で否決)を提起してきた団体だ。現金イニシアチブを2023年に発議すると、いかなる政党の支持も得ずに13万7000筆の署名を集めた。
イニシアチブは①硬貨と紙幣が常に十分な量で供給されていること②スイスフランを他の通貨に置き換える場合は国民投票で有権者と州の賛否を問うこと、を提案している。これらにより、通貨と金融政策を定める連邦憲法第99条を補完する。
自由運動スイスのリヒャルト・コーラー代表は、現金には自由、独立、そして安全性という美徳があると主張する。コンピューターの故障やハッキングといったリスクを踏まえると、安全性は何よりも重要だという。高齢または思想的な理由でデジタル決済に抵抗のある人々にとって、現金は最後の砦ともなっている。
自由運動スイスは、現金が使いにくくなったり廃止されたりする可能性をゼロにすることで、中国の社会信用モデルのような極端な例はもとより、国家が「人々の支出と活動を永久的に監視する」事態を防ぎたいと考えている。
連邦政府の対案は?
連邦政府・議会は、スイスにとって現金が重要であるという点、またフランを国の通貨として使い続ける点については、イニシアチブ提案者に同意している。これらの点は既に2つの連邦法に盛り込まれているとの立場ながら、さらに連邦憲法にも明記するという案にも賛成する。
しかしながらイニシアチブの文言は不十分だ、というのが、政府が対案をまとめた理由だ。対案では、スイスの通貨はスイスフランであり、SNBが保証すべきはイニシアチブ案のように「硬貨と紙幣」ではなく、「現金」の供給であることを明確にした。
これにより、連邦政府はSNBの権限を侵害することなく、明確かつ認められた法的原則を再確認することができる、という。
またイニシアチブ原案は「十分な」量の供給を求めているが、政府の対案は特に定めていない。
なぜイニシアチブは撤回されなかったのか?
連邦政府がイニシアチブの主旨を反映した対案を策定することは珍しくない。だが対案が出されると、イニシアチブ提起者は自身の案を撤回することが多く、その場合は対案だけが国民投票にかけられる。
だが現金イニシアチブについては、提案者たちは政府の対案に満足しなかった。自由運動スイスは声明で「残念ながら、政界が私たちの要求を真に理解したとは確認できない」と述べた。
対案は「SNBは現金の供給を保証する」としている。だが提案者は、現金供給に当たりSNBが考慮するのは「銀行」にとってのニーズであって、「銀行が国民に十分な現金へのアクセスを提供し続ける」ことを保証するものではないと指摘する。現金の利用を保証するのは連邦政府の責任であり、SNBにはその能力が不足しているとの見方だ。
発案者たちはもう1つの欠陥として、対案が「硬貨と紙幣」ではなく「現金」という文言を使っていることも挙げる。声明では「あざとい法律家がいずれ、現金と一定の特性を持ちながらも物理的な形態を持たない国家デジタル通貨は、憲法に定められた現金とみなせる、と主張し始める可能性がある」。このため物理的な現金が法定デジタル通貨にのっとられる可能性はゼロではない、と危惧する。
どの案を誰が支持?
イニシアチブ原案は、その目的は賛同を受けるものの、文言を理由に連邦議会も反対の立場を表明した。主要政党の間では、第1党の国民党(SVP/UDC)のみが支持している。一方、政府の対案は、利害関係者への意見聴取手続きでも軒並み賛同の声が集まった。連邦内閣によれば、対案の文言はイニシアチブ提起者の立場と一致しているものの、「明確かつ実証済みの法的原則に基づいている」という。
議会両院もほぼ全会一致で政府の対案を可決した。審議では、現金はデジタルプロファイリング、コンピューターの故障、オンライン詐欺に対抗するために必要なだけでなく、商業やレストランにおけるデジタル取引のコスト削減にもつながる、との意見が上がった。
対案は、州、主な経済団体(エコノミー・スイス、スイス銀行協会、スイス農家組合など)、労働組合(スイス労働組合連合、トラバーユ・スイスなど)からも支持されている。
編集:Samuel Jaberg、独語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫
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