「広島、長崎を風化させない」日本の高校生がジュネーブで核兵器廃絶訴え
広島・長崎への核兵器投下から80年。9月、日本の高校生たちがジュネーブの国連欧州本部を訪れ、核兵器廃絶を求める署名を提出した。高校生2人がジュネーブでスイスインフォの取材に答えた。
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長崎県南山高校2年の高田健士郎さん(17)は長崎県で生まれ育った被爆3世だ。平和への思いを強くしたのは2年前に参加した長崎・出島でのトークセッションがきっかけだった。ウクライナ戦争を取材する女性ジャーナリストの話を聞き、「自分がどこか平和というものを遠くに見ていたことに気づいた」と話す。
祖父が長崎の爆心地から7km離れたところで被爆したことを母親から初めて聞かされたのはつい最近だ。祖父はその時まだ3歳で原爆の記憶はなく、幸い大きなけがを負ったわけでもない。祖父とそのことについて言葉を交わしたことはないが、「一歩違ったら今自分はここに存在していない。長崎で育った被爆3世として、自分も行動を起こさなければ」と強く思ったという。
今年の高校生平和大使に選ばれてからは毎週日曜に2時間、長崎市内の商店街などに立ち、ジュネーブの国連欧州本部に提出するための署名活動を続けた。長崎市内の小学校では平和を考える「出前授業」もした。長崎の原爆・戦争関連の施設も回り、知識を深めたという。
1998年に始まった高校生による平和活動。公募して選ばれた全国の高校生が核兵器廃絶を訴える署名を国内で集め、毎夏、ジュネーブの国連欧州本部で開かれる軍縮会議に合わせて届けている。被爆80年となる今年は24人の高校生平和大使が11万筆の署名を提出。平和を訴えるスピーチも行った。
週6日はサッカー部の練習、週末は平和大使の活動と休む暇もないが「苦にならない」と笑う。ジュネーブに署名を届けに行く役目に選ばれたことを、教員の両親は喜んでくれたという。
日本全国で原爆への記憶・関心の薄れが指摘されるなか、高田さんは「長崎の人たちには今も変わらず平和や戦争に対する熱意がある」と感じている。「それはこれまで被爆者の人たちが継承してきてくれたからこそだと思う。長崎で生まれ育ったからこそ自然に蓄積されてきた平和への想いを、今こそ世界に発信していきたい」
長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の最新の調査によると、世界9カ国が保有する核弾頭の概数が1万2340発と2013年以来初めて増加に転じるなど、核軍拡の動きが世界で広がる。高田さんは「核情勢は確かに厳しい。でもそこで終わりにせず、そこからどうしたら核をなくしていけるのか、一人一人が考えていくきっかけにできたらいいと思う」と話している。
「核は他人事」
広島・長崎から数百km離れた静岡県に住む不二聖心女子学院高校3年の水野可麗さん(18)は、2年連続で高校生平和大使に選ばれた。
幼いころから母親の運営するピアノ教室のボランティアコンサートで歌い、社会貢献がしたいとずっと思っていた。中学3年生の秋、学校の平和学習で長崎を訪れ被爆者に話を聞いたことがきっかけで平和活動に強い関心を持ったという。
水野さんも静岡県内で署名活動を続けたが、平和への関心が高い広島・長崎とは違い、足を止めてくれる人は少なかった。「じゃあどうやって核兵器を無くすのか説明しろ」「現実を知らなすぎ」と冷たい言葉をかけられることもあったという。
「でも、手がかじかむほど寒い冬の日も真夏の暑い日も、必死になって集めたこの署名を国連に届けて、日本には平和を望んでいる人がこれだけいるんだということを世界に訴えたかった」
世界で核抑止論が再燃しているのは、人々の「無関心」が背景にある、と水野さんは言う。「特に日本の中高生は、原爆や核の問題を他人事のように思っている人が多い。だからこそ、私のような近い年齢の人が語りかけた方が、メッセージは伝わりやすいと思う」
平和大使の活動を初めて2年目。自分の周りでは核廃絶に関心を持つ友人が増えてきた。少しずつ、そして着実に手応えを感じている。
編集:Virginie Mangin
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