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スイスの民主主義

「列車でヒッチハイク」 インターレイルパスが生んだ若者文化

イタリア・ローマ発、スイス・バーゼル行きの夜行列車の前に立つインターレイルパスの利用者たち。1994年、バーゼルSBB(スイス連邦鉄道)駅にて撮影
イタリア・ローマ発、スイス・バーゼル行きの夜行列車の前に立つインターレイルパスの利用者たち。1994年、バーゼルSBB(スイス連邦鉄道)駅にて撮影 CFF Historic

275フランで1カ月間、ヨーロッパ中を鉄道で旅する――。1972年に発売された乗り放題切符「インターレイルパス」は、毎夏、何万人ものスイスの若者をヨーロッパ各地へと誘った。多くの若者にとって、それは親元を離れ、自分の力だけで外国を旅する初めての機会でもあった。

スイスインフォでは、スイス国立博物館のブログ外部リンクから歴史に関する記事を定期的に紹介しています。ブログの記事はドイツ語、フランス語、英語でお読みいただけます。

「21歳未満なら、インターレイルパスでヨーロッパを旅しよう」。インターレイルパス最初の広告ポスターは、サービスの内容を端的に伝えている。2人の旅行者が若者なのかは必ずしも明らかではないが、カラフルな服とギターはその後、インターレイルの旅を象徴するモチーフとして定着した。若者はバックパック姿で描かれることが多かったが、ここではまだスーツケースを持っている。

象徴的なインターレイルパス最初のポスター。フランス人デザイナーのギー・ジョルジェ(1911~1992年)が1973年に制作した
象徴的なインターレイルパス最初のポスター。フランス人デザイナーのギー・ジョルジェ(1911~1992年)が1973年に制作した CFF Historic

国際鉄道連合(UIC)創立50周年を記念して誕生

インターレイルパスは、国際鉄道連合(UIC)の創立50周年を記念して1972年に創設された。さまざまな記念事業の一環として、ヨーロッパの鉄道会社21社は若者を対象としたパスの発売を決めた。

1972年3月1日から11月30日までの期間、21歳未満の人は1カ月間、ヨーロッパ各地を2等車で旅行できた。パスを発行した国では鉄道運賃が半額。その他の国々では、乗り放題切符として利用でき、自由に旅程を組めた。スイスでの販売価格は275フラン(当時のレートで約2万1800円)だった。

このサービスは特に学生や職業訓練生にとって手頃な旅行手段となり、大きな人気を集めた。

当初は1972年のみ、期間限定発売の予定だったが、インターレイルパスは大成功を収めた。1972年の販売数は、スイスで8726枚、ヨーロッパ全体では8万7625枚だったが、翌年にはスイスで1万3059枚、ヨーロッパ全体で11万9011枚にまで増加した。

そのため、インターレイルパスは恒常的なサービスになった。1974年には、ハイシーズンだけでなく、通年利用が可能になった。年齢制限も2年後には23歳に、1979年には26歳まで引き上げられた。

スイスの鉄道会社が発行していたインターレイルパスの見本。1973年撮影
スイスの鉄道会社が発行していたインターレイルパスの見本。1973年撮影 CFF Historic

列車でヒッチハイク

インターレイルパスの旅は多くの若者にとって、親に頼らず、初めて自分で計画して出かける外国旅行だった。パスがあれば、旅行経験があまりなくても、自分自身で大旅行を計画し、地元を飛び出して、ヨーロッパ諸国を自由に巡れた。

シンプルなコンセプトは、限られた予算で自由に旅したい若者のニーズにぴったり合っていた。多くの若者は最小限の荷物で旅に出た。たいていバックパックを背負っていたことから、「バックパッカー」と呼ばれるようになった。

若者は限られた予算をやりくりし、列車の中や駅、ユースホステル、キャンプ場などで夜を過ごした。ドイツ鉄道(DB)の調査は、インターレイルパスの平均的な利用者像をこう描いた。「快適さ、くつろぎ、荷物運搬設備に対する期待は控えめだ。重要なのは、鉄道の旅で得られる人との交流の機会だ。ひとり旅は、個性の発展とちょっとした解放感を象徴している」

出発前に記念写真を撮る若者たち。ジュネーブ・コルナヴァン駅にて1973年撮影
出発前に記念写真を撮る若者たち。ジュネーブ・コルナヴァン駅にて1973年撮影 CFF Historic

インターレイルパスが人気を博したもう1つの理由は、同じような考えを持つ外国の若者たちと簡単に知り合える機会があったことだ。パスの利用者かどうかは、年齢や典型的な持ち物で容易に見分けがついた。そのため、新たな旅の仲間ができることもよくあった。しばらく一緒に旅した後、再び別々の道を行くことも珍しくなかった。

新聞広告も旅の仲間を募集していた。時代の風潮にぴったり合ったインターレイルパスは、若者文化に欠かせない存在になった。

リュックサックを背負った旅行者たち。チューリヒ中央駅にて1972年7月撮影
リュックサックを背負った旅行者たち。チューリヒ中央駅にて。1972年7月撮影 e-pics

また、1968年のパリの「五月革命」からわずか数年後、文化的な価値観が変化する中でインターレイルパスが発売されたことも成功の要因の1つだ。従来の車のヒッチハイクとは対照的に、この自由で制約のない旅のスタイルは、いわば列車でヒッチハイクをするようなもので、「気ままな鉄道の旅」の象徴だった。

若者たちは大人社会から解放され、新しい世界を切り開けた。それは、自立した若者像と完璧に合致していた。目的は、単に旅に出ることではなく、自分自身を見つけることだった。若者は、ヨーロッパ大陸を列車で旅することで、自由という感覚を得た。

「列車でヒッチハイク」と銘打った1978年の広告。「気ままな鉄道の旅」を象徴している
「列車でヒッチハイク」と銘打った1978年の広告。「気ままな鉄道の旅」を象徴している CFF Historic

移動距離を競う

利用したすべてのルートはインターレイルパスに記録され、パス自体が旅ノートの役割を果たした。そのため、地元の家族や友人に、パスの有効期間内に綿密に計画された旅程や、列車の頻繁な利用を、旅行中に撮影された写真とともに見せることできた。

もう1つの旅行スタイルは、現代でいうところの「トラベル・マキシング」――鉄道でできるだけ多くの距離を走破するというものだった。1972年にある学生が計1万9000キロメートルを走破した。記録は年々更新され、1987年には3万6030キロメートルに達し、ギネス世界記録に認定された。

スイス連邦鉄道(SBB/CFF)はこの過熱した競争について、こうコメントしている。「可能性はほぼ無限大だと感じた初心者は、30日間という限られた時間の中でできるだけ多くの都市を巡ろうとする傾向がある。そのため、駅やキャンプ場、ユースホステル以外にはほとんど目もくれない。しかし、こうした合法的な極端さこそが、初めてのインターレイル旅行を魅力的にする」

1975年には、旅を成功させるためのアドバイスやヒントを紹介する最初のインターレイル・ガイドブックが出版された。

目的地はヨーロッパ

手頃な価格に加え、旅程を自由に組める点がインターレイルパスの成功の鍵となった。計画は土壇場で変更されることも多く、どの列車に乗るか駅で決めることもあった。これがインターレイル最大の利点だった。鉄道でアクセスしやすいヨーロッパの大都市が旅行先として人気を集めた。

「夏に、チューリヒ中央駅から出発する若いバックパッカーたちを数時間も観察すれば十分だ。南北ルートから外れる人はほとんどいないとわかる」。ドイツ語圏の日刊紙NZZ が1980年代に報じたこの内容は、インターレイルパス導入当初にスイス連邦鉄道も報告している。スイスの若者の大半は北へ向かった。

逆に、スイスは、スカンジナビア諸国からの旅行者に人気の目的地だったようだ。「スイスとスカンジナビア4カ国は互いに魅力的なようだ。(旅行客数と移動距離を掛け合わせた)旅客キロベースで、スイスの若者は極北地域における総旅客キロの約4分の1を占めた一方、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの若者は、スイスにおけるインターレイルの総旅客キロのほぼ半分を占めた」 インターレイルパス利用者の北欧諸国への強い関心は、デンマーク・コペンハーゲン中央駅に1984年、最初のインターレイルセンターが開設されたことでさらに高まった。営業時間は午前7時から午前1時。食事スペースや休憩所、シャワー、荷物預かり所、飲み物やサンドイッチの自動販売機などが設置されていた。

ヨーロッパのさまざまな目的地を宣伝するインターレイルパスのパンフレット
ヨーロッパのさまざまな目的地を宣伝するインターレイルパスのパンフレット CFF Historic

汎ヨーロッパ的なプロジェクトとして構想されたインターレイルには、創設当初から社会主義国の鉄道会社が複数参加しており、「鉄のカーテン」の向こう側の国々にも行きやすくなった。ルーマニアやハンガリーが含まれていた他、初年度にはポーランドや東ドイツも参加していた。東側諸国の参加は限定的で、インターレイルパスの利用者は歓迎されたものの、地元住民へのパスの販売は行われなかった。

イタリア、スペイン、ギリシャといった地中海沿岸諸国も非常に人気が高く、夏季には南欧諸国の鉄道の輸送力に問題が生じることもあった。モロッコはインターレイル連合に加盟する唯一の非ヨーロッパ国として異彩を放っていた。

鉄道会社は若者向けマーケティングを展開

鉄道会社は、マーケティングと結びついた新サービスを展開した。使用後のインターレイルパスを切符売り場に返却すると、15フランが払い戻されるというものだ。この取り組みは、国内鉄道会社間で収益を公平に分配することを目的とする一方、若者のニーズを把握するマーケティング調査も兼ねていた。

インターレイルのようなサービスを通じて新たな顧客層を開拓し、若者の鉄道旅行への関心を高めるためには、旅行行動に関する統計データが欠かせなかった。鉄道は1960年代、自動車に市場シェアを奪われていた。当時、自由の象徴とみなされていた自動車に対抗するには、的を射たサービスが必要だった。

チャーター便を専門とする航空会社の登場により、競争はさらに激化した。若い世代を取り込むため、鉄道会社は割引運賃の半額パスやレイル・ヨーロッパ・ジュニアカード(国際切符が25%割引)といった既存の若者向けサービスを拡充するとともに、新しい独自のサービスを開発した。1970年代は、ヨーロッパの鉄道会社が若者市場を開拓した時代だった。

1970年代、鉄道会社は特に若者をターゲットにしていた
1970年代、鉄道会社は特に若者をターゲットにしていた CFF Historic

成功と停滞、そして再評価

インターレイルパスは当初は成功を収めたものの、長くは続かなかった。1990年代は全体的に売上が減少した。

ゾーン制の導入と、南欧諸国の鉄道会社からの圧力による値上げは、インターレイルのシステムを複雑にし、旅の自由度を制限した。

航空業界の自由化と格安航空会社の登場により、ヨーロッパの都市やより遠方の目的地へ、より速く、そして多くの場合より安価で行けるようになった。環境への負荷という概念は軽視されていた。気候変動対策運動の高まりとともに、鉄道旅行は再び人気を集めている。

1990年代、バーゼルSBB駅でのインターレイルパス利用者
1990年代、バーゼルSBB駅でのインターレイルパス利用者 CFF Historic

年齢制限の撤廃やファーストクラスの導入など、インターレイルパスのサービスは数十年にわたり幾度も進化を遂げてきた。パス自体も、旅行スタイルに合わせて変化した。初期は特定の日付を指定せずに自由に旅行できたが、現在では多くの列車で事前の座席予約が必要となり、かつてほど自由気ままな旅はしにくくなった。

一方、アプリ「レイルプランナー」ではリアルタイムで旅行に役立つ情報を確認できる。冷房完備の高速列車によって、旅はより快適になっている。

UIC創立50周年を記念して発売されたインターレイルパス自体も、2022年に50周年を迎えた。だが、インターレイルパスは今日も1972年の創設当時と変わらず、柔軟で比較的リーズナブルな旅行手段だ。

マルク・リベリ(Marc Ribeli)氏は歴史家。スイス連邦鉄道歴史遺産財団(Historic)で、歴史的な写真やフィルム、ビデオの保存・管理に携わっている。

原文外部リンクは2026年6月4日、スイス国立博物館のブログに掲載されました。
仏語からの翻訳:江藤真理、校正:大野瑠衣子

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