「海運大国スイスは、人と環境に対する責任を果たすべきだ」
海なし国のスイスが、実は世界の海運で重要な役割を担っていることをご存じだろうか。スイスが海運拠点としての地位をさらに強化しようとするその陰では、船の解体による環境問題や、労働者の権利をめぐる深刻な問題が浮かび上がる。海運国スイスは、その責任をいかに果たすべきなのか。
おすすめの記事
ニュースレターへの登録
今日、世界貿易の約9割は海上輸送によって行われている。国連の統計によると、現在約11万2500隻の商船が世界の海を航行している。これらの船は原油や(穀物や鉱石などの)ばら積み貨物、食料品などを運んでいる。この分野でスイスは重要な役割を担っている。世界最大のコンテナ輸送会社、MSCの本社がジュネーブにあることが大きいが、スイスの海運業界における存在感はそれだけではない。
現在、スイス船籍で航行する外洋船はわずかだが、公式の統計によれば、スイスに拠点を置く海運会社が約900隻の船舶を運航している。スイス所在の資源商社の船舶も含めると、スイス企業が管理する船舶は約3600隻に上るとNGOのパブリック・アイは試算する。
スイスは世界的な海運拠点
船主は、必ずしも運航する船舶の所有者ではない。だが所有者に代わって運航をめぐる責任を負う。正式な所有者は、香港やパナマなど、税制メリットがある地域に設立されたペーパーカンパニーであることが多い。総じて、スイスは欧州にとどまらず、世界的にも重要な海運拠点として位置づけられる。
そのため、スイスが国として海洋戦略を策定したことには大きな意味がある。この戦略では、まず、海運をはじめとする海洋関連産業がスイスにとって重要な存在であることを認めている。その一方で、海の資源や生態系をこれまで以上に守る必要性も明記している。海の環境がどのような状態にあるかは、地球全体の気候を左右する重要な要素だ。この海洋戦略はまた、人間らしいとは言えない過酷な環境で働く船員の労働環境を改善する必要性も訴えている。
海洋戦略の目標の1つは、スイス船籍を海運業界にとってより魅力的にすることだ。船がスイス船籍として運航するためには、スイスで登録されている必要がある。国際的な海事法では、船を登録する国を自由に選べる開放登録が認められている。一般に「便宜置籍」とも呼ばれる仕組みだ。つまり、船を所有する会社は、船を登録する国に拠点を置いていなくてもよい。現在、世界の商船のかなりの数がこうした便宜置籍を利用している。スイス企業が運航する船も例外ではない。リベリア、パナマ、マーシャル諸島などの船籍で、何千隻もの船が世界の海を航行している。
外洋船のスクラップ問題
海事産業における重要な問題の1つに、外洋船の解体がある。商船は約25~30年で耐用年数を迎え、解体処分される。毎年、数百隻の船舶が解体され、その鉄鋼が再利用されている。船舶の規模を考えると、これは容易な作業ではない。最大級の船舶は、全長約400m、全幅60mにも及ぶ。現在、解体作業の大部分はバングラデシュやインド、パキスタンの海岸で行われているが、そこには何kmにもわたり中小規模の造船所が立ち並ぶ。
作業方法は至って原始的だ。満潮時、全速力で船舶を砂浜に乗り上げ、そのまま放置する。それを出稼ぎ労働者が、酸素アセチレンバーナーで船体を切断していく。危険が伴うこの作業は、十分な防護具や、適切な訓練なしに行われることが多い。爆発や火災、落下してくる金属片や有毒物質との接触により、重傷事故や死亡事故も起きやすい。医療体制も不十分なケースが大半だ。
環境への被害も深刻だ。特に古い船には、大量のアスベストが使われていることがある。また、同じように有害なPCBや重金属、化学物質、油の残留物などが、船の構造部分や燃料、潤滑油に含まれているケースもある。あるいは貨物の残留物や船体にも有害物質が含まれていることもある。そんな船が解体・処分される際、これらの物質が適切に管理されないまま、海底や周辺の沿岸水域に垂れ流しになっているのだ。
船主らは解体の責任逃れ
船を運航して利益を得てきた船主が、船を人や環境に配慮して解体する責任まで負うとは限らない。むしろ船が寿命を迎えると、最後の航海を経て解体場へ送るため、船主はペーパーカンパニーなどを通じ、解体業者と直接つながりを持つ「キャッシュ・バイヤー」に売却することが多い。売却された船は名前を変え、「もう解体される船」として便宜置籍国に登録される。こうして船主は、船の解体に関する既存の規制を逃れるのだ。
こうしたやり方は、利益の最大化という点では理にかなっている。たとえ廃船寸前の船でも、その大部分は価値のある鉄でできている。船を解体して得られる鉄1tの価格は、当然ながら労働環境や環境保護の水準が低いほど高くなる。もちろん、作業員の教育や安全装備、コンクリート製の作業用設備などに投資している解体業者もあるが、その場合、船主に支払える鉄1tあたりの価格が下がる。
これは国際的にも知られた問題だ。作年6月に発効した「シップ・リサイクル条約(正式名称:2009年の船舶の安全かつ環境上適正な再資源化のための香港国際条約外部リンク)」では、船の建造から運航期間を通じて、すべての船について有害物質の一覧を作成し、船を解体する際には、その一覧を造船所に引き渡すことを義務づけた。この一覧が適切に作成されているかを確認する責任は、船籍国にある。一方、船舶の解体・リサイクルを行う国は、造船所が安全かつ環境に配慮した方法で船を解体するための計画を承認し、造船所の認可や監督を行う。
スイスはまだ条約を批准していない
ただし同条約にも抜け穴があり、今なお潮汐の影響を受ける海岸で船の解体を行うことが認められている。また、条約が実際に機能するためには、船舶を建造する造船所、船会社、船の解体を行う造船所、船籍国、そして解体を行う国が、それぞれに課せられた責任や監督をきちんと果たさなければならない。だが実際には、こうした業務は外部委託されることが多い。そのため、本当にこの仕組みだけで船員や労働者、環境を守れるのか、大きな疑問が残る。
スイスは、まだシップ・リサイクル条約を批准していない。船舶の解体問題をめぐり、リサ・マッツォーネ氏(緑の党、GPS/Les Verts)が国会で複数の案を提出したことを受け、スイス連邦政府は2019年、外国船籍の船についてはスイスに責任はないとの立場を示した。その一方で、海運国として重要な国々の相当数がこの条約を批准した段階で、スイスも参加を検討するとした。その条件は、現時点ですでに整っている。
シップ・リサイクル条約に限らず、スイスを拠点に運航されている船であれば、スイス船籍ではなくてもスイスの刑法や環境法が適用される。
もしスイスの船会社が、十分な労働者保護を行っていない危険な海外の造船所で船を解体することを、危険を承知の上で決めたとなれば、重大な労働災害が起きた場合、スイスの刑法が適用されるかどうかを検討すべきだ。同様に、船会社の従業員や経営幹部、あるいは会社自体に、傷害や死亡に関する犯罪への責任を追及できるかどうかも検討すべきだろう。
環境法では、特別管理廃棄物についても規定されている。特に古い船の構造部分などに含まれるアスベストやPCBを含む廃棄物も該当する。第三国間で行われる特別管理廃棄物の輸送について、スイスの企業が手配した場合、あるいはスイス企業が関与した場合には、法律に基づく届け出が義務づけられており、違反すると刑事罰の対象となる。
スイスは労働者と環境を守る責任を果たすべきだ
このように、すでに一定の法的な枠組みが存在しているにもかかわらず、不要になった外航船を海岸で解体したとしてスイスの船主が法的責任を問われた事例はない。他の欧州諸国では、過去にこうしたケースが報告されている。
スイスは重要な海運拠点の1つであり、海洋戦略を通じ、海洋産業における自国の地位をさらに強化するという狙いがある。だがそのためには、実効性のある法的な仕組みを整えることは必須だ。スイスに拠点を置く船会社が所有する船の解体なら、なおさらだ。
スイスは、労働者と環境を守るためのルールが確実に守られ、必要であれば改善されるよう努めるべきだ。規制の抜け穴を使ったルール回避を防ぐためにも。
本稿に示された筆者の見解は、必ずしもスイスインフォの見解を反映するものではありません。
おすすめの記事
外交
編集:Benjamin von Wyl、独語からの翻訳・校正:シュミット一恵
JTI基準に準拠
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。