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梨泰院の群衆雪崩「パニックが原因ではない」 在日スイス人研究者

梨泰院の路地
多くの死傷者を出した梨泰院の路地。勾配は事態を悪化させる要因の 1 つだ Keystone / Jeon Heon-kyun

ソウル・梨泰院の雑踏で150人以上が死亡した事件は、世界中の群衆研究者に大きな衝撃を与えた。「歩きスマホ」理論でイグ・ノーベル賞を受賞した日本在住のスイス人研究者、クラウディオ・フェリシアーニ氏もその1人だ。

「気候変動やアフリカの飢餓といった重大な問題が起きているなか、私の研究は役に立たないとよく言われる。だが今回ばかりは役に立てたのではないかと思うような出来事が起こる。何かできたんじゃないかと思うが、何もできなかった。無力感が増す」

先月29日に梨泰院で起こった悲劇について、クラウディオ・フェリシアーニ氏はswissinfo.chにこうしたためた。華やかなナイトライフで知られる梨泰院地区のハロウィンパーティーのさなか、群衆に押しつぶされて150人以上の若者が命を落とした。

スイス南部ティチーノ州出身のフェリシアーニ氏は東京大学の研究者で、群衆の行動とそれを制御する最適方法の解明を専門とする。梨泰院で起きたような群衆事故を回避するための実用書も共著した。

同氏の研究は2021年のイグ・ノーベル賞を受賞した。同賞は「科学は必ずしもマジメなわけではない。むしろ人々を笑わせたり、反省させたりすることもある」をモットーにする米誌「Improbable Research(ありそうもない研究)」が運営している。

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「歩きスマホ」理論のイグ・ノーベル賞に貢献したスイス人研究者

このコンテンツが公開されたのは、 ユーモラスな科学的研究に贈呈されるイグ・ノーベル賞の「動力学」部門は今年、再びスイスが受賞した。共同受賞者の1人で、東京大学で研究に当たるクラウディオ・フェリシアーニ氏を取材した。

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今回は人々を笑わせる要素はどこにもない。取材を申し込むと、「表面的な対応ではなく、こうしたことが二度と起こらないようにしなければならないという責任を感じている」と語った。

swissinfo.ch:この種の出来事について「表面的な対応」とは、正確にはどういう意味なのか?

クラウディオ・フェリシアーニ氏
クラウディオ・フェリシアーニ氏は東京大学の研究者。群衆と歩行者の交通のダイナミクスの研究を専門とする Claudio Feliciani

クラウディオ・フェリシアーニ:今回のような事故では、「その場にいた人が事故の原因になった」と、「群衆」を非難しがちだ。

だが実際に梨泰院で見られたような群衆の中にいると、自分の脚では動くことができない。集団の中で押し寄せる力の波に動かされてしまい、ほんの数メートル先で何が起こっているかも分からない。1人ひとりは無力だ。

それでも「人が多すぎた」などという性急なコメントもよく出てくる。実はこの数字は関係がない。チューリヒのストリートパレードのようなイベントには最大100万人が集まるが事件は起きない。だが2018年のイタリア・コリナルドで、数百人しかいないナイトクラブで圧死が発生した例もある。

swissinfo.ch:ニュースを報じたメディアの一部は、「パニック」や「狂った」といった言葉を使った。こうした表現は、何が起こったかを描写するのに適切なのか?

フェリシアーニ:パニックが無秩序に群衆に広がるという考え方は、この問題の第一人者であるギュスターヴ・ル・ボンが発表した19 世紀後半の論文に由来するが、残念ながら人々の脳裏に深く刻み込まれてしまった。この考え方は不特定多数の人間に責任転嫁しやすく、事実上、全ての責任が消えてしまうのが理由の1つだ。

実際にはパニックが主要な役割を果たすことはめったになく、暴走の原因になることはほとんどないことはよく知られている。

梨泰院の事件でも、事故が起きる数秒前にはまだ多くの人が陽気に騒いでいたことが見て取れる。(わずかな)悲鳴は事故の前ではなく、事故の後に上がり始めた。その悲鳴も、それは群衆がパニックになって本能的に上げたのではなく、個人が押しつぶされそうになって叫んだものだ。

swissinfo.ch:ソウルで撮影された映像を見て、梨泰院で何が起こったのか解明できたか。

フェリシアーニ:映像から、この種の事故に共通する要素を見て取ることができる。断続的な流れや、非常に高い密度、人々が地面から持ち上げられ、塊の中に形成された衝撃波によって動かされたことを示唆する「乱流」の動きなどだ。このような状況では、さまざまな方向に絶えず動いていた誰かがバランスを失うと、突然隙間ができてしまうことがある。

大きな力が加わると、その隙間は周囲の人々によって埋められ、人々が重なり合うという連鎖反応が起きる。平地で起きた事故でも、たくさんの死体が積み重なることがある。道路が傾斜していると、このメカニズムがより強く働き、少なくとも動きを止めづらくなる。

swissinfo.ch:群衆雪崩で人が死ぬ原因は何か?

フェリシアーニ:医学的な側面についてはあまり詳しくないが、ほとんどの死因は外傷性窒息(胸部に強い圧力がかかる) によるものだと言える。内部損傷も、程度は低くても死に至る可能性がある。このような圧死事件の生存者が受ける心理的被害は数年続く可能性があり、過小評価されてはならない。

swissinfo.ch:こうした事態が発生しないようにするには、どのような予防措置を講じるべきなのか。

フェリシアーニ:第一に、関係するすべての当事者間の調整が必要だ。チューリヒのストリートパレードでは、組織委員会と警察が調整し、さらに専門家や大学に依頼して、歩行者の流れについてより具体的な調査やシミュレーションを行っている。

住民やレストラン、ナイトクラブの経営者にも参画してもらい、状況を把握し、危険な状況が発生した場合に誰がどのように連絡するかを全員に周知する必要がある。現時点の情報によると、梨泰院の場合はこの調整が不足していたようだが、その理由の解明には時間がかかると言われている。

例えば人の流れを常に振り分けるなど、一般的な対策もある。梨泰院でみられたような、集団が無秩序に反対方向に移動するのを避けることだ。これは2010年にプノンペンで300人以上が死亡した事故など、過去に何度も起きている。

そしてこの種の事件は、何百万人が住む大都市だけに限って起きるわけではないと今一度頭に入れておいてほしい。小さなイベントでも、安全に配慮しないと命取りになる可能性がある。

大規模なイベントの場合には、具体的な収容人数や安全対策を決めたガイドラインや法律がある。小規模なイベントについても、状況が制御不能になってきたと感じたら当局に通報し、誰に連絡すればよいかを知っておくのはどんな時も有効だ。

swissinfo.ch:起きた事件の責任を明確にできるのか。

「この種の事件は、何百万人が住む大都市だけに限って起きるわけではない。小さなイベントでも、安全に配慮しないと命取りになる可能性がある」

フェリシアーニ:正確な責任の所在を明確にするのは、一般的にとても困難だ。2010 年にドイツのラブパレード中に起きた事故 (編注:死者21 人、負傷者510 人)後にあった裁判は、戦後最も複雑な裁判の1つとされ、10 年間続いたが有罪判決が下されることはなかった(個々人の過失は有罪判決に必要な最低限の基準を満たしていないことが立証された)。1989 年に英国で発生したヒルズボロの悲劇(編注:死者97 人、負傷者766人) は 30 年もの歳月をかけながら、未解決の問題が残っている。梨泰院のような状況への対処は確かに難しい。非常に多くの関係者がいて、それぞれの関与度は小さいながらも決定的な役割を果たした。

swissinfo.ch:群衆の中にいることに気づいた時点で、できることはあるのか。

フェリシアーニ:個人として、行きたい場所に移動できず、人混みに流されるような状況に陥った場合は、細心の注意を払う必要がある。たとえ短時間であっても、あらゆる方向から力が加わっているのを感じたら、それはもう危険のサインだ。

そのため、落ち着いてその場を離れると同時に、友人や現場の警備員に知らせることが重要だ。急に移動したり、階段や狭い路地を通ったりすることは避けた方がよい。

最後に、歩きながら動いている人混みの中で、写真を撮るなど立ち止まるのは避けなければならない。これにより、短期間で人が蓄積するのを促す「プラグ」を生み出し、結果的に制御不能な事態を招く可能性がある。

万が一群衆雪崩に巻き込まれた場合にどうすれば助かるかは断言が難しく、有効なアドバイスはできない。なかなか研究が進んでいない面もあるし、その人が置かれた立場にも大きく左右されるからだ。

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