Navigation

パウル・クレー・センターができるまで

パウル・クレー・センターの屋根は手で接合されていく。その長さ、40km Zentrum Paul Klee/ジアン二・ベレンゴ・ジアルディン

パウル・クレーが死去して65年、ベルン市と州政府はこの地に住んだ偉大な芸術家のために、彼の名を冠した記念碑としてパウル・クレー・センター(Zentrum Paul Klee)を建てた。

このコンテンツは 2005/05/11 11:37

これは美術館のようでいて、単なる美術館ではない。その紹介の文には、「パウル・クレーの人生と作品についての情報研究センター」と定義されている。

クレーが制作した1万もの作品のうち、4,000以上がこのセンターの屋根の下に収まっている。これは1人の芸術家の作品の収集数としては、世界最大規模のものだ。しかし、このセンターの建設が2005年6月に開館するまでには、政治的、経済的、文化的な、多くの紆余曲折があった。

事の始まりは、パウル・クレーの直系の孫であるアレクサンダー・クレーと妻リビア夫妻が、相続したクレーの作品をベルン市に寄付することを申し出たことからだった。1990年、クレーの息子であるフェリックスが死んですぐのことだった。アレクサンダー夫妻は、世界的に価値のあるこれらの作品を寄付する代わりに、遅くても2006年にはパウル・クレーに捧げる美術館を建設することを条件として提示した。

7年間もの困難な交渉の末、クレー夫妻と市の間でなんとか合意が成され、クレー夫妻は作品群を市に寄付する契約にサインし、ベルン市がクレー美術館を建設することが約束された。

当初の計画では、美術館になる建物はパウル・クレーが以前に学んだ学校を使うことを予定していた。また、新しくできる美術館は、ベルン美術館とクレーの歴史的つながりを強調するために、ベルン美術館に近い土地が選ばれた。

ひも付きギフト

1998年7月、新たな火種が起きた。ベルンの医師、モーリス・ミュラーと妻のマーサが4,000万フラン(当時2,640万ドル、約26億円)もの資金をこのプロジェクトに寄付すると発表したのだ。

この寄付には他にも多くの条件がついていた。1つは、美術館はミュラー夫妻の家やパウル・クレーが眠る墓地からも近い土地に建設してほしい、ということだった。このため、夫妻はベルン市の郊外にある1,000万フラン(約6億円)の価値の土地も併せて提供するとした。

また、ミュラー夫妻は美術館の設計を国際入札ではなく、気に入った建築家に任せることを望んだ。この時までに、美術館建築計画はすでに5年間も話し合われていたが、この新しい申し出は、今までの話し合いを全て白紙に戻すものだった。ベルン市政府と州政府は頭を抱えた。

夫妻が申し出た土地はベルン市中心から離れた東の端っこにある野原である。そこにクレー美術館が建設されれば、市中心にあるベルン美術館との関係は薄れてしまう。ベルン美術館はこれまで、クレーの作品の世界最大かつ重要なコレクションを誇っていたのだ。ただでさえ、新しいクレー美術館ができれば、ベルン美術館で最も人気が高かったクレーの作品はそこへ移される。これで2つの美術館の関係が薄れてしまっては、痛手はあまりに大きい。

大論争が沸き起こった。しかし最終的に、資金難の市および州政府が、条件付きの莫大な寄付を受けることを決定した。ミュラー夫妻は美術館建築プロジェクトを監督するために「モーリス・マーサ財団」を創立し、代表の中にミュラー夫妻やクレーの遺族だけでなく市や州政府、ベルン美術館の代表なども含めた。

有名建築家登場

1998年12月、国際的に有名なイタリア人建築家、レンゾ・ピアノがパウル・クレー・センターの設計を行うことが発表された。ピアノはパリのポンピドゥー・センター、バーゼルのバイエラー美術館、はたまた日本の関西空港の設計でも知られる非常に有名な建築家だが、それでも競争入札が行われないことは、地元でも驚きをもって迎えられた。

1年後、ピアノは新しい美術館のためのデザイン図を発表した。波のような屋根を持つ、丘の形をした3つの建築物である。この「屋外の彫刻」は、芸術と研究、情報提供を自在に結びつけることを目指して設計された。

ベルン市および州議会は、2000年末になってやっとこのプロジェクトの後援を可決した。その際、反対は7票のみだった。次の年行われたベルンの市民投票では、78%がこの新しい美術館の建設を支持した。これでついにパウル・クレー・センター建設に向けて確固たる土台が築かれたというわけだ。

2003年12月、3つの「丘」の建設完了を祝う華々しい式典が開かれた。センター開館予定の18ヵ月前のことだった。センターの事務関連機関は、2004年の11月にこの新しい建物に入った。その後すぐ、ベルン美術館に部屋を持っていたパウル・クレー財団も、新しいクレーの作品の家、パウル・クレー・センターに移った。

パウル・クレー・センターの建設が完了するまでには、多くのドラマがあったが、それに対応するかのように、開館式典も今までにないものになりそうだ。2005年6月20日午前9時きっかりにセンターのドアが開かれる。また、一般公開はその次の日になる。


swissinfo ニコル・エビィ 遊佐弘美(ゆさひろみ)意訳

補足情報

<アレクサンダー・クレーの、パウル・クレー・センターへの作品の寄贈>

絵画61
水彩などの色つきシート228
線描など白黒シート400
ガラスに描いた絵6
グラフィック・シート26
他の芸術家が制作した作品126
その他(絵の練習に使ったノート、学校の教科書、スケッチブックなど)。

リビア・クレーの、パウル・クレー・センターへの作品の寄贈>

絵画46
水彩などの色つきシート166
線描など白黒シート369
彫刻34(このうち30は指人形)
石膏と粘土のレリーフ5
ガラスに描いた絵7
グラフィック・シート5
他の芸術家が制作した作品49

‐ベルン美術館内には、パウル・リリー図書館があり、手紙類や絵の道具、家族のアルバムなどが収められている。

End of insertion

このストーリーで紹介した記事

この記事は、旧サイトから新サイトに自動的に転送されました。表示にエラーが生じた場合は、community-feedback@swissinfo.chに連絡してください。何卒ご理解とご協力のほどよろしくお願いします

共有する

この記事にコメントする

SWIアカウントをお持ちの方は、当社のウェブサイトにコメントを投稿することができます。

ログインするか、ここで登録してください。