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鳥インフルエンザがスイスチーズにとって厄介な理由

鳥インフルエンザの発生に備えた民間の予防訓練。スイス東部のグラールス州にて。2023年5月4日撮影
鳥インフルエンザの発生に備えた民間の予防訓練。スイス東部のグラールス州にて。2023年5月4日撮影 Keystone / Gian Ehrenzeller

近年、鳥類における高病原性鳥インフルエンザウイルス(H5N1亜型)が世界的に拡大している。米国では昨年3月、初の乳牛への感染が報告された。スイスの乳牛には今のところ影響が出ていないが、感染が広がれば、伝統的なスイスチーズの製造方法を見直す必要が出てくるかもしれない。

伝統的な製法で作られるスイスチーズは、ほとんどの場合、絞りたての生乳を使っている。ヒトに有害な細菌やウイルスを殺菌する加熱処理を行っていないため、特に免疫力の低下した人には危険性がある。つまり消費者にとって潜在リスクはゼロではない。

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こうした未殺菌の牛乳(生乳)の摂取に伴う健康上のリスクを最小限に抑えるため、チーズ業界とスイス連邦政府は長い年月をかけて衛生・安全対策を構築してきた。だが今、この伝統的な製造方法に新たな問題が忍び寄っている。

米国では昨年3月、高病原性鳥インフルエンザウイルス(HPAI)の一株である「H5N1亜型」が乳牛から検出され、牛に感染した世界初のケースとなった。鳥類に対して高い致死性を持ち、ヒトの場合は感染すると重篤な症状になることもある。牛の場合、通常は軽度の症状しか示さないものの、研究者らはこれを受け、食品の安全性や農作業従事者の感染リスクについて警鐘を鳴らした。

鳥インフルエンザ

鳥インフルエンザは、感染した野鳥との接触を通して感染するとされる。米国の例では、農夫が牛の食欲不振と乳の色の異常に気づき、政府の科学者に調査を依頼した結果、感染が確認された。昨年4月、影響を受けたテキサス州、カンザス州、アイダホ州、ニューメキシコ州4州で飼育されている牛群から採取した生乳サンプル275件のうち、57.5%から高病原性鳥インフルエンザウイルスが検出された。またサンプルの4分の1にH5N1亜型の株が含まれていた。米国国立衛生研究所(NIH)が昨年5月に発表した研究外部リンクによると、このようにウイルスが含まれた生乳を熱処理せずに飲むと、ヒトにも感染する可能性がある。

ただし牛乳を加熱処理すれば、感染リスクはほとんどなくなる。生乳にウイルスを人為的に混入させた追跡調査では、低温殺菌を施せばウイルスが完全に死滅することが確認された。

米国最大の乳製品生産州であり、国内生産量の約5分の1を占めるカリフォルニア州は、昨年12月に非常事態宣言を発令。流行対策の強化と省庁間連携の迅速化を図った。一方、米国農務省(USDA)は同月、連邦命令を発表し、通常の規則制定手続きを緊急時には省略できるようにした。同省はまた全米を対象とした「全米生乳検査戦略」(NMTS)を策定し、乳製品の加工施設にある貯乳タンクから殺菌前の牛乳のサンプルを提供し、検査を受けるよう義務付けた。

米国政府のデータ外部リンクによると、今年7月までに米国17州の1000を超える牛群でH5N1の感染が報告された。また発病や感染した牛との接触により、酪農従事者41人が鳥インフルエンザに感染した。

チーズは大丈夫?

米国食品医薬品局(FDA)は、生乳を使い60日間熟成させたチーズについて、H5N1の有無を検査した。今年初頭に分析した110件のサンプルのうち96件は陰性、残り14件は現在、結果待ちだ。この結果だけを見れば、生乳に含まれるウイルスはチーズの製造過程で死滅する可能性が高い。しかし一方で、FDA出資でコーネル大学が実施した研究外部リンクでは、酸性度が低すぎる場合、一部の熟成チーズでウイルスが生き残ることもあることが示された。

研究を執筆した科学者らは今年3月、査読と正式な出版前の研究論文を公開するためのプレプリントアーカイブ「bioRxiv(バイオアーカイヴ)」で「当研究は、非加熱の牛乳で作ったチーズの摂取に伴う潜在的な公衆衛生上のリスクを浮き彫りにした。感染性ウイルスとヒトとの接触を防ぐために、チーズ製造工程に今以上の安全対策が求められる」と述べた。 

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鳥インフルエンザが生乳製品に与える潜在リスクについて、スイスではようやく6月になり、スイスの農業研究機関アグロスコープ、並びにスイス連邦ウイルス学・免疫予防研究所(IVI)が最初の研究外部リンクを発表した。研究では、テキサスで感染した乳牛の乳から分離したH5N1を人為的に添加した生乳で作ったスイスチーズを検証。非加熱の牛乳では、製造温度が50℃未満の場合、H5N1が生き残る可能性があることを確認した。

保存がきくハードチーズやエクストラハードチーズの場合、生乳は一般的に製造工程で51~58℃まで加熱される。病原体を減らし、最終的な製品を安全に消費できるようにするためだ。だがソフトチーズの場合、生乳は35℃程度までしか加熱されず、セミハードチーズの大半は50℃未満で処理される。人気上位のスイスチーズを例に取ると、凝固前の生乳の温度はグリュイエールで最高57℃、エメンタールは52~54℃、アッペンツェラーは43~45℃、ラクレットは42℃だ。

チーズの酸性度が高いと、ウイルスの生存率は下がる。コーネル大学が実施した前出の研究では、H5N1を添加した生乳で作ったチーズがpH5.8(弱酸性)の場合、60日間の熟成後もウイルスが検出された。一方、それより酸性の強いpH5.0(弱酸性)だと、ウイルスは製造過程で死滅していた。(ちなみに牛乳は中性のpH7、ヨーグルトは酸性のpH4)

筆頭著者として同研究をまとめたニコール・レンツ・アジュ氏は「酸性度と加熱温度の違いで、生乳製のチーズにH5N1が残留するかどうかが変わってくる。ウイルスを完全に不活化できるか否かは、初期のウイルス量と、それぞれのチーズの具体的なレシピによって異なる」と述べた。

しかし、消費者が手にするチーズにウイルスが残っているかどうかを左右するのは、製造温度と酸性度だけではない。塩分や、微生物が成長に使える水の量(水分活性)といった他のパラメーターも、ウイルスが製造過程で生き残るか否かを決めるとされる。

パッケージを見ても、そのスイスチーズが具体的にどんな条件下で製造されたのかは記載されていない。ただし、グリュイエールチーズのように原産地と品質を保証するAOPラベル(原産地呼称登録)のあるチーズなら、規格書に詳細が記載されている。他の品種について知りたい場合、消費者は製造元に問い合わせる必要がある。

スイスチーズの販売促進を行うスイス・チーズマーケティングは、状況を監視しつつ、実験室で導き出された研究結果に振り回されないよう、消費者に促している。

広報担当のデジレ・シュトッカー氏は、「私たちは科学的な進展を常に注意深く追跡している。研究機関や当局とも定期的に連絡を取っている」とし、生乳で作った製品も含み「スイスチーズは消費者にとって、まず安全だ」と述べた。

日本では牛乳を加熱殺菌を行ってからチーズを製造するのが一般的で、無殺菌乳でのチーズ製造は、実質上ほとんど行われていない。ただ生乳で作られた外国のチーズは流通している。

連邦内務省食品安全・獣医局(BLV/OSAV)はスイスインフォの問い合わせに対し、同研究の内容は把握しているが、スイスでは現時点でH5N1の乳牛への感染例が報告されていないことから、当面の間は予防措置を取る必要はないと回答した。

ただし、牧場の近くにある鶏舎でニワトリの感染が報告された場合、監視が始まる可能性もあるとIVIの所長であるバーバラ・ヴィーランド氏は話す。

とは言え、スイスでそういった事態が発生する可能性は「現時点ではゼロに等しい。牛に感染するためには、地域一帯にウイルスが蔓延している必要がある」とし、「米国では牛が感染する前に、大量の野鳥やニワトリが死亡した。一方、スイスでは現在、家禽のインフルエンザ感染は全く報告されていない」と述べた。

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米国にはないスイスの大きなメリットは、効率的な牛乳検査・監視システムが確立されていることだ。スイスの酪農業界では、品質を保証するため全ての酪農場で月2回、乳腺炎の検査が実施されている。必要に応じ、鳥インフルエンザウイルスの検査もカバーできるようにするのは簡単だとヴィーランド氏は話す。

米国の事例をそのままスイスに当てはめられないもう1つの理由に、米国のH5N1株が他の株と異なる性質を示していることがある。

ヴィーランド氏は「スイスの研究で使用された鳥インフルエンザウイルスは、株によって性質の違いが見られた」と指摘する。「米国の分離株は、他の株と大きく異なる動きをしていた。ウイルスが乳製品に残るかについて、一般的な結論を導き出すのは難しい。ウイルス株を地域ごとに再評価する必要がある」

スイスの乳牛ではまだ鳥インフルエンザが確認されていないうえ、その時には厳しい衛生管理に基づく牛乳検査・監視システムが役立つとは分かっていても、チーズ産業への潜在的な影響は、まだ不透明な点が多い。

スイスのチーズ産業は、2年間の輸出低迷を経て、昨年ようやく回復の兆しを見せ始めた。輸出額は2023年比で5.3%増の7億4850万フラン(約1372億円)まで上昇した。そんな中、ドナルド・トランプ米大統領は8月1日、スイスからの輸入品に対し39%の関税をかけると発表(8月7日発効)。これによりチーズ産業が再び失速する恐れがある。スイスチーズの輸出先の約1割は米国だ。グリュイエールチーズの場合、その比率が3分の1に上がる。スイスの乳牛で鳥インフルエンザが発生すれば、チーズ産業にはそれこそ「泣きっ面に蜂」だ。

編集:Nerys Avery/ds、英語からの翻訳:シュミット一恵、校正:大野瑠衣子

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