The Swiss voice in the world since 1935
トップ・ストーリー
スイスの民主主義
ニュースレターへの登録
トップ・ストーリー
ディベート
すべての議論を見る

スイスの子どもたちが怖がるクリスマスの「悪者」シュムッツリ、時代とともに変化

雪のなかで黒い装束をきた3人
シュムッツリに扮した子どもたち。中央スイス、ニトヴァルデン準州のエンネットビュルゲンにて keystone

街がクリスマスのイルミネーションで輝き始める12月初頭、スイスでは顔を黒く塗った謎めいた人物が家庭を訪れる。その名は「シュムッツリ」。サンタクロースの従者だ。悪い子を見つけると、ある時はせっかんし、またある時は袋に入れて連れ去ってしまうという。そんな恐ろしいシュムッツリが、今では「イメージを一新した」という。一体何が起きたのか?

シュムッツリが子どもを袋に入れて森へ連れ去って行く姿を、今もはっきりと覚えているとエディ・ヤオホさんは振り返る。「今なら、誘拐すれすれですよ」

ヤオホさんは、伝統慣習の継承に取り組む中央スイスの組合のメンバーだ。「シュムッツリは今も、切っても切れない存在です」とドイツ語圏の日刊紙ルツェルナー・ツァイトゥング外部リンクに語る。「シュムッツリは、邪悪で屈強な用心棒というわけではありません。あくまでサンタクロースの背後に控え、サンタが求めた時にだけ前へ出る従者です。威厳に満ちてはいても、怖がられる存在であってはならないのです」。家庭を訪問する際、(子どもが怖がるので)シュムッツリは外で待つよう頼むこともできるが、「それはめったにありません」と付け加えた。

赤い衣装に白いひげのおじいさん。日本で「サンタクロース」の名で親しまれるクリスマスの中心人物の源泉は、3~4世紀に生きたヨーロッパの聖人「聖ニコラウス」だ。ヨーロッパからアメリカへと伝播するなかで、その外見や役割が少しずつ変遷してきた。スイスの「サミクラウス」もその派生の1つ。

【聖ニコラウス】ミラの聖ニコラウスは、西暦270年頃、現在のトルコに生まれた初期キリスト教の大司教。子どもや船員、醸造者など、多くの人々の守護聖人としてあがめられた。白くふんわりとした短いひげをたくわえた高齢の姿で描かれることが多い。靴を出しておくと金貨を入れてくれるなど、こっそりプレゼントをくれることで有名。ヨーロッパでは今も、聖ニコラウスの命日(343年没)である12月6日は、ちょっとした贈り物をする「聖ニコラウスの日」として祝う伝統がある。

【シンタクラース】聖ニコラウスのオランダ版。長く豊かな白ひげを持ち、赤い司教衣をまとった姿をしている。祝祭は中世に始まったが、現在の形式は19世紀半ばに遡る。シンタクラースは大きな赤い本を手に持ち、どの子が1年間「良い子」だったか「悪い子」だったかが記されているという。従者を務めるのは「ズワルト・ピート(黒いピート)」。ムーア人風の衣装と、黒塗りの顔が特徴だ。毎年11月中旬になると、シンタクラースとズワルト・ピートが、スペインからはるばる船に乗ってやって来る。そして白馬にまたがり、12月6日まで街を練り歩く。ピートは複数人いて、群衆にお菓子を投げ与える。ちゃんとしたプレゼントがもらえるのはオランダでは12月5日、周辺諸国は12月6日。

【サンタクロース】17世紀になると、オランダ移民はシンタクラースの伝統を北アメリカ大陸へ持ち込み、当時のニューネーデルラント植民地の中心地、ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)でこの日を祝った。「シンタクラース」はやがて「サンタクロース」と英語化される。丸々とした陽気な老人で、赤い服をまとい、襟と袖口には白い毛皮の縁取り、時に眼鏡をかけたサンタクロースのイメージは、アメリカの風刺画家トーマス・ナストの影響が大きい。イギリスの「ファーザー・クリスマス」と共通点が多く、今では同一人物と見なされている。イギリスでは精霊が従者を務めている。プレゼントの日が12月の5・6日から24・25日に移ったのは、宗教改革者マルティン・ルターの影響が大きい(後述のクリストキント参照)。なお、「サンタクロースはコカ・コーラが宣伝用に発明した」というのは、単なる都市伝説だ。

【ファーザー・クリスマス】クリスマスを擬人化した伝統的な英語の名称。17世紀半ばに初めて登場し、19世紀後期になって現在の姿に落ち着いた。ヴィクトリア時代以前は、主に大人の宴や享楽の象徴だったため、鈴の音とともにトナカイに乗ってやってきて、夜にこっそり煙突から忍び込み、靴下に子どもたちへのプレゼントを入れてくれる、といったストーリーは全く存在しなかった。しかし後期ヴィクトリア時代に入り、クリスマスが子ども中心の家族行事に変化すると、ファーザー・クリスマスも贈り物をするようになった。1850年代になるとアメリカのサンタクロース神話がイギリスに伝わり、ファーザー・クリスマスはサンタクロースの特徴を取り入れるようになる。1880年代にはそのイメージが浸透し、フードに白い毛皮のついた赤いガウンをまとった夜の訪問者として定着した。

【サミクラウス】ドイツ語圏スイスでの聖ニコラウスの通称。従者を務めるのはシュムッツリで、顔に汚れやススを表す黒っぽい化粧をしていることがある。

【クリストキント】又はクリストキンドル。ドイツ語で「幼子キリスト」の意。スイス、オーストリア、ドイツの一部、そして19世紀にこの慣習を受け入れたヨーロッパや南米のカトリック地域でクリスマスプレゼントをくれる贈り主。宗教改革期の16世紀、聖人に祈りを捧げることを偶像崇拝として批判していたマルティン・ルターは、キリストを中心に据え置くため、金髪で天使のような幼子キリストをプレゼントの贈り主に仕立て上げた。これに伴い、プレゼントをもらえる日付も12月5・6日から24・25日へと移った。

ファーザー・クリスマスとシュムッツリ
チューリヒのメイン通り、バーンホフ通りを練り歩くサミクラウス。この従者シュムッツリは、顔に黒い化粧をしていない。1967年撮影 KEYSTONE

スイス版サンタクロース「サミクラウス」(聖ニコラウス)に付き添う、ヒゲの生えた怪しい雰囲気の従者「シュムッツリ」は、今もヨーロッパ北部の広い地域で伝統として継承されている。例えばドイツでは「クネヒト・ループレヒト(農夫ループレヒト)」が赤い衣をまとった聖ニコラウスに付き添い、オランダでは「ズワルト・ピート」が同行する(詳しくは後述)。

民俗宗教を研究するクルト・ルッシ氏は、スイスでは聖ニコラウスの風習が、キリスト教以前に行われていた仮面や騒音を伴う祭礼と結びついて発展した、と過去の記事で語っている。

シュムッツリはドイツ語のSchmutz(シュムッツ、汚れ)に由来する。古代の祭礼では、騒音と光で追い払うべき悪霊を象徴していた。

ルッシ氏は「1910年になると、聖ニコラウスの日に現れる怪しげな人物に関する記録が登場します。当初は『ブッツリ』と呼ばれ、後に『シュムッツリ』に変わりました」と語る。「当時のシュムッツリは醜い存在として描かれていました。黒くくすんだ顔にギョロギョロとした赤い目、そしてマントのフードを目深に被るという怪しげな姿で登場します」

ルッシ氏は、それよりずっと以前の1486年に描かれた、子どもをさらう悪魔の挿絵を例に挙げて説明する。「この『子どもをさらう』というモチーフは、シュムッツリで復活します」。他にも「ストレッゲレ(Sträggele)と呼ばれる、やはり子どもをさらう悪魔もいます。恐らくスイス固有の人物でしょう。ストレッゲレと同じく、シュムッツリも白樺の枝を持っています」

顔を黒く塗りほうきをもった人
鋭い目で「悪い子」を探し回るシュムッツリ。2017年、フリブールにて Keystone / Christian Merz

サミクラウスとシュムッツリ(フランス語圏のスイスでは「ペール・フエタール(鞭打ちの父)」)は、伝統的に街を練り歩き、家庭を訪問しては、子どもたちがこの1年良い子だったかを尋ねる。悪い子は、昔は白樺の枝で(軽く)叩かれたり、大きな袋やかごに詰め込まれたりしてお仕置きされたものだ。

子どもたちがシュムッツリを怖がるのも無理はない。「子どもだった頃、1年中いたずらばかりしていたので、サミクラウスとシュムッツリが来る日は、必ずズボンにハサミを忍ばせていました。たとえ袋詰めにされても、なんとか自分で袋を切って逃げ出せるようにね」。今では「おおむね良い大人」に育ったスイスインフォのスイス人記者は、笑いながらそう昔を振り返った。

ルツェルン市リッタウの聖ニコラウス協会のダニエル・キュング会長は、「子どもたちは今でも『本当にシュムッツリに連れて行かれちゃうの?』と尋ねてきます」とため息をつく。「そういう時は、そんな話をしたおじいさんにきつく注意します」とルツェルナー・ツァイトゥング外部リンクに語った。「私たちはクリスマスの雰囲気を盛り上げたいだけ。家庭の事情に口を挟む警察官ではありません」

テレビ画面に向かって話すサミクラウスとシュムッツリ
コロナ禍中、ビデオ電話で家族と話すシュムッツリとサミクラウス。家を直接訪問することは許されなかった。2020年撮影 KEYSTONE

スイス北部のアールガウ州にあるヴィスリクオーフェンでは2023年12月、「サミクラウス会議」が開かれた。参加した約50人が全員一致で認めたことが1つある。それはサミクラウス、特にシュムッツリが、この25~50年間に大きく変化したという点だ。

サミクラウスを33年間務めてきたユルク・トリアーさんは「子どもを袋に入れる『悪者のシュムッツリ』は、もはや存在しない」とドイツ語圏の日刊紙ターゲス・アンツァイガー外部リンクに語った。

ヤオホさんによれば、最近のサミクラウスのパレードでは、伝統を知らない若者がシュムッツリに攻撃的な態度をとることがあるという。「ほうきを奪って、逆にシュムッツリを叩こうとする人もいます」。そんな時は、決して挑発に乗らないようにとシュムッツリは指導を受けている。今どきのシュムッツリは「通行人をほうきで優しく叩いたり、女の子に頬ずりして黒い化粧をこすりつけようとしたりしますよ」としたり顔のヤオホさん。「しまいにはシュムッツリがスッピンになってしまうこともあります」

おすすめの記事
A masked man tries to behead a dead swan.

おすすめの記事

文化

スイスのびっくり仰天な伝統行事5選

このコンテンツが公開されたのは、 スイス中央部ルツェルン州のズアゼーで11日に行われた「ガチョウの首切り」。これだけでも衝撃ですが、スイスの奇祭は他にもあります。これから春にかけてスイス各地で行われる、驚きの伝統行事を5つ紹介します。

もっと読む スイスのびっくり仰天な伝統行事5選

男性が女性に頬ずりするというセクハラまがいの行為がお祭りのなかでは許されるとしても、顔を黒で塗りたくるという習慣はこのご時世で問題にならないのだろうか?

オランダでは、ムーア人として描かれた「ズワルト・ピート」が、人種差別的かつ侮蔑的であり、オランダ帝国主義時代の黒人召し使いや奴隷がモチーフになっているのは明らかだとして、国連外部リンクから非難を受けた。

一方で、シュムッツリは違う。顔が黒いのは、汚れやススによるものだ。人種差別・反ユダヤ主義撲滅基金(GRA)のシュテファニー・グレーツ代表は「この伝統行事に問題があるとは思いません」と、無料新聞20min.外部リンクに語った。そして黒い顔のシュムッツリに人種差別的な背景はなく、神話や「悪魔」としての起源によるものだと強調した。

サンタクロースに扮した人がシュムッツリ役の人の黒装束をとめる様子
仕上げに汚れやススを表す黒い化粧をすれば、シュムッツリの出来上がり Michael Trost

スイス西部フリブールでサミクラウスを務めるマルクス・コリーさんは、黒い化粧にはもっと実用的な理由があると20min.に語る。「誰がシュムッツリに化けているのか分からないようにすることが重要です。子どもたちに知り合いだと気づかれないように、カツラやヒゲも付けます」

また、シュムッツリが皆、顔を黒くしているとは限らない。衣装に化粧がついてしまうと、とても落ちにくいためだ。「聖ニコラウス訪問」の維持や普及に取り組むchlaus.chを運営するマルティン・ケンプフさんは、シュムッツリの解釈は基本的に自治体によって異なる、と20min.に語る。

「シュムッツリが炭焼き職人として登場する地域もあり、そこでは人々の顔に炭を塗ります」。また、ケンプフさんが子どもの頃には、全く逆のパターンも見たこともあるという。「中央スイスの一部の地域では、サミクラウスが白装束の従者や、天使の姿をした人物を連れていることもあります」

ファーザー・クリスマスとシュムッツリ
家から家へと訪問するシュムッツリとサミクラウス。届けてくれるのは褒め言葉、お菓子、それとも悪夢?チューリヒ州シュテーファにて Michael Trost

「サミクラウスが来た!」

では、21世紀のシュムッツリとサミクラウスは実際に何をしているのか。昨年、チューリヒ湖近郊にある自治体シュテーファで、地域紙チューリヒ湖新聞の記者がシュムッツリの衣装でサミクラウスに同行外部リンクし、4家族を訪問した。

同記者は、その夜の体験を、次のように語っている。

1軒目の家庭を訪問する前に、サミクラウスは「シュムッツリ、私のヒゲは大丈夫かね?」と尋ねてきた。私(シュムッツリ)はランタンの明かりでサミクラウスの真っ白なヒゲをチェックして、黙ってうなずいた。「では、ベルを鳴らしてくれ」。私たち2人が階段の踊り場で待っていると、子どもの声が響いてきた。「ママ、サミクラウスが来たよ!」。サミクラウスは玄関ドアを3回、力強くノックすると、中に入って行った。

出迎えてくれたのはノエ(5歳、仮名。以下同様)。やや興奮気味に、キラキラと目を輝かせながら私たちを居間へと案内する。1歳になったばかりの妹、サラちゃんは、驚いたように私たちを見つめていた。用意された椅子に腰を下ろすと、サミクラウスは手に持っていた本を開く。

「さて、親愛なるノエ」。先ほどより、少し重い響きの声でサミクラウスが話し始めた。「今年は良い子にしていたかな?」。熱心にうなずくノエ。「では、シュムッツリが君について何を書いているか見てみよう」。サミクラウスは横目で私に意味深な視線を送ってきた。

「幼稚園ではよくがんばっているね」と褒めるサミクラウス。「ただ、おうちではご飯の時に、ちょっと好き嫌いがあるようだね」。ノエは思い当たる所があるように頭を垂れると、「来年は絶対、ちゃんとできます」と約束した。

サミクラウスが本をパタンと閉じ、ノエが願い事を伝えたあとは、シュムッツリの出番だ。私は大きな麻袋の下の方に手を突っ込み、チョコレートとピーナッツ、ミカンが入った小さな袋を2つ取り出して、ノエに手渡した。「では、そろそろ行かなくては」。サミクラウスはそう言うと、杖を持って立ち上った。「まだ他にも、大勢の子どもたちが私たちを待っているからね」

編集Samuel Jaberg/sb、英語からの翻訳:シュミット一恵、校正:ムートゥ朋子

人気の記事

世界の読者と意見交換

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部