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スイス人仏教学者がみた 日本人の宗教観

京都に在住する仏教学者、ミッシェル・モール氏 swissinfo.ch

京都在住のスイス人仏教学者、ミッシェル・モール氏(47歳)は同志社大学で宗教学の教鞭をとり、数多くの仏教専門誌に日本語、英語、フランス語で投稿する。そのモール氏に日本人の宗教観、生死観について考察を聞いた。

日本語の流暢なモール氏は一般の日本人よりも語彙が豊富で、難しい仏教用語や禅用語の漢字も教えてくれる博識の学者。インタビューはすべて日本語で行われた。

 モール氏が仏教に興味を持つ以前、小さい頃から「神はいるのか」を疑問に抱いていた。このため自ら宗教教育を進んで受けたが、ジュネーブにあるプロテスタントの教えには満足せず、仏教の座禅、瞑想などを通して実践で確かめる東洋的アプローチに興味を持ち、ジュネーブ大学で宗教学を専攻する。

 日本にはもう、14年いるが人間関係の「気遣い」が好きという。最近、興味を持っているのはタオ指圧だ。

swissinfo : 日本の仏教は「葬式仏教・・・」と批判されていますが、これを仏教学者としてどう思われますか。

モール : 確かにそういう所は、大いにあります。伝統を保つのが精一杯でそこから、先に行けないという感じを受けます。日本は中国仏教の博物館と言われますが、本当に伝統を継承するという点では歴史や考古学を勉強する人には興味深いでしょう。日本の寺では未だに宋時代のスリッパを履いて儀式をしていることころがありますからね。 

swissinfo : スイスなどではチャリティーなど、キリスト教団体が行っていることが多いですが、日本の仏教の社会貢献度はどうでしょう?

モール : 慈善事業など小規模の団体で活動する人は多いですが、分散してしまう傾向があると聞きます。仏教では、伝統的に自己犠牲が重視され、他者の救いを優先する菩薩のような行為が大事という発想ですがね。

江戸時代に飢饉などがあるとお坊さんが立ち上がるということがよくありました。江戸時代には社会福祉が存在しなかったので仏教の社会的な意味合いが非常に大きかったと思います。

明治維新以来、仏教の役割が大きく変わり、キリスト教など他の宗教との競争が生じたので、それまでお寺にこもっていた人たちが、もっと社会と関わらなければといった使命感を再自覚したのです。

ところが、戦時中は天皇礼賛に傾き、戦争を美化する仏教集団が多かったので、戦後、信頼を失ってしまったのです。現在、戦後60年ようやく反省する声明を出す仏教教団(臨済宗など)が出てきましたが、戦後は風当たりがすごく強かったですね。

swissinfo : 欧州での仏教ブームをどう感じていますか。

モール : 先進国は物質文明に飽きているということは間違いないでしょう。何かを模索しているということが共通にあると思います。 

同じ真理を同じ言葉で聞くと飽きがきてしまうから、仏教が新鮮で、欧州で流行るのではないでしょうか。また、キリスト教と違って、改宗する必要がないのと、瞑想すること自体、自分の技術として身につけられるのが魅力でしょう。宗教体験はどれも通じるものがありますからね。

swissinfo : 日本人の仏教観はどのような行動、生活に反映されていると思いますか。

モール : 生死観に関して特に仏教の存在が感じられます。予測しなかった事故とか出来事が起こったときにどういう対応をするかといった時に仏教的なものが無意識の中にあるという感じがします。つまり、仏教の良いところをいえば、責任を重んじるということです。この悪い結果は自分が作ったといったような、責任を重んずる、カルマという発想が日本の社会に根付いていると思います。

例えば、西欧では大変な事件が起きた場合は「何故、神はそれを許すのか」と考える人がいます。仏教では自分以外の神がいないので直面しなければなりません。超人間的な力に任せるだけでは説明できない、自分の人生に対する責任感が生まれるのでしょう。

また、臓器移植問題についてもすごく感じました。日本では臓器移植法に反対する人が多いのは仏典からきているのでしょう。そもそも、脳死イコール死という考え方は西欧医学的な概念なのです。仏典での生命のあり方は、体が暖かいうちは生命力があるというものですから、熱があって生きているように見える人を臓器摘出によって死なせるのは許せないと思う人が案外多いのです。日本では提供者が少ないのもそのせいでしょう。仏教は臓器移植に反対という訳ではないのですが、死の定義が西欧医学と違うのです。

swissinfo : 今後は宗教はどのような役割を担っていくのでしょうか。

モール : 英語と仏語では宗教(Religion)と霊性(Spirituality)という二つの概念に分けて考えます。この区別が妥当だとすれば、霊性のほうが伸びる可能性が多いと思います。つまり、大方の既成宗教としての勢いは弱まりますが、個人としての霊性という問題は高まっていくでしょう。霊性というのは宗教の根底にある土台です。

例えば、「私とは誰か」といった疑問は自分で探していかなければ意味はない。知的な理解だけでなく、体と心を含めて自ら体得し、自らの「気づき」がなければ力を持ちません。過去を振り返ってみると、形としての宗教よりも霊性を求める修行体系(ヨガなど)がいつも残りましたから。批判的な精神がないと宗教が組織になってしまって、どうしてもイコール権力という構造になってしまいますから、危険なところです。

swissinfo : 最後にあなたは日本語、英語など母語(フランス語)でない言語で宗教について抽象的な論文を書かれていますが、その秘訣はなんでしょう?また、今後の研究課題はなんでしょう。

モール : 実は母語でない言語で書くほうが情緒的な傾向が消えていいのですよ。論理性があって、体系だてるのに外国語は役立つのです。日本語でも、最初はカチカチの文章でしたが、何回も声に出したりしているうちに余計なものが省かれてきます。 

今後は仏教学者から見た一神教という視点で「近代日本宗教思想史の課題」をテーマで研究したいですね。


swissinfo 聞き手、 屋山明乃(ややまあけの)

<ミッシェル・モール氏の略歴>

- 写真家の父、テレビディレクターの母を持ち、ジュネーブに生まれる。若い頃から宗教学に興味を持ち、ジュネーブ大学で文学博士号を取得し、1980〜1981年に東京、そして1983〜1987年に京都に留学した後、1992年から日本に。これまでも花園大学、立命館大学、同志社大学などで教鞭をとる。

- 日本語で「混沌の自覚から表現へ 禅仏教に於ける言葉の捕らえ方の一側面」、「禅学に方法論がありうるか」、「近代禅思想の形成」などといったテーマの論文を『近代仏教』、『日本仏教学会年報』、『思想』など専門誌にも投稿。その他、多くの英語、フランス語の仏教書を出版。

- 現在は山田無文の『十牛図 禅の悟りにいたる十のプロセス』をフランス語に翻訳中、アルバン・ミッシェル(Albin Michel)社で出版予定。

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