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偽情報から国民投票を守るには? スイスの模索

アルプスに映るスイス国旗
眼下に広がるのはトゥーンの街。アーティストのジェリー・ホフシュテッター氏によるスイス国旗のインスタレーション作品が、ユングフラウの北斜面に浮かび上がる(2012年) Michael Buholzer / Reuters

SNS上の偽情報の拡散が選挙結果を左右するようになり、各国が危機感を強めている。国民投票の国スイスはロシアや中国の「ハイブリッド戦争」の標的にされることを警戒し、議会では専門機関の設置や国際協力の強化を審議中だ。国内外の識者は「ナラティブ(物語)」の確立も重要だと指摘する。

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スイス政府は昨年6月に発表した偽情報に関する報告書で、従来の脅威はもとより、「戦争と平和の狭間のグレーゾーン」における情報操作の脅威に対しても警鐘を鳴らした。近年は偽情報や世論誘導が「スイスを直接的な標的とする場面が増えて」おり、これらを駆使する「影響力の行使者」と呼ばれる主体が、外交政策の分野で影響力を発揮することで、数々の国際機関の拠点を擁するスイスに悪影響を及ぼす可能性も指摘した。

民主制に迫る偽情報の脅威

政府の報告書は、スイスの直接民主制に及ぼす悪影響も指摘した。「自由な議論や民主的なプロセスに干渉するうえで、開かれた民主主義社会は標的にする価値がある」。スイスが採用する「国民が常に政治決定に関与する直接民主制」の下では、「社会的および政治的軋轢あつれきが形成されやすい」からだ。

情報戦争を前にした懸念はスイス連邦議会にも広がっており、偽情報や世論誘導に関する複数の提案が出ている。その内容は、偽情報対策の横断的機関の設置を求めるものや、G7即応メカニズム(G7 RRM)におけるオブザーバー資格申請の可能性を探るものなどさまざまだ。政府もこれらの提案に賛成の立場だ。

G7即応メカニズムはカナダ主導の国際枠組みで、偽情報対策の強化にあたりG7が連携・協力関係を結んだもの。広報担当者はswissinfo.chに対し、その目的を「民主制を標的とした外国からの多種多様な脅威」に対処することだと説明した。スイスがオブザーバー資格を申請する可能性についてはコメントを避けた。

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政府の報告書は偽情報の狙いについて、人々を「不安に陥れ、恐怖をあおり、動揺させ、分裂させる」ことだと指摘する。また、流布される偽情報が必ずしも説得力を持つ必要はない。何度も繰り返し聞いた情報は、たとえその情報が明らかな間違いだとしても、正しい情報として認識されてしまう傾向があるからだ。

自由民主主義国家のジレンマ

情報の安全保障に関して、目下スイス当局を悩ませている国がロシアと中国だ。報告書では、これら2カ国が「スイスの安全保障と切り離せない関係にある」と指摘した。

しかし、ハイブリッド戦争の謀略に対処することは、スイスのような自由民主主義国家にとって容易ではない。自由民主主義国家では、政府が情報の真偽を決断することは禁じ手とされるからだ。

スパイおよび安全保障の専門家であるノッティンガム大学のロリー・コーマック教授は2024年、英議会の公聴会で「行政機関が関与した時点で、その情報は政治色を帯びてしまう」と指摘した。また、諸外国の勢力は直接攻撃をしかけるだけでなく、一見無害な機関・個人のネットワークも利用すると警告した。

偽情報拡散の責任の所在

コーマック氏はswissinfo.chの取材に対し、偽情報が「公的機関やメディア、民主制に対する信頼」を損なう、「どこにでもある害悪」だと語った。そして、諸外国による世論誘導がどの程度成功するかは、国内政治にも左右されると明言した。

同氏によれば、偽情報が拡散する背景には「事実を軽視した有害な政治的議論」が存在する。これがどのような形で表面化するかは、国内政治を行う主体に委ねられている。

英国のボリス・ジョンソン元首相
コーマック教授は、ボリス・ジョンソン元英首相を「ポスト真実」の信奉者だと語った ARRIZABALAGA / POOL

コーマック氏はイギリスも参加するG7 RRMを概ね高く評価している。「敵意のある、あるいは誤ったナラティブを、必要に応じて未然に防ぐことができる」だが「昨今のアメリカ政府の動向」を踏まえれば、G7 RRMの「機能不全」は免れないとみる。「G7の構成国が誤ったナラティブを広めているようでは、偽情報に対処することは困難だ」

アメリカ離れと新たな安全保障

アメリカ新政権を巡る混乱が続く中、同国との建設的な協力関係を目指してきたスイスでも、この危機的状況の見直しを求める声が上がっている。「ヨーロッパにとって最も重要な同盟相手を失い、我々は孤立している」とswissinfo.chに語るのは、政治的進歩主義を標榜するスイスのシンクタンク「CH++」の代表、オルガ・バラノヴァ氏だ。米国の変化を「決定的な大転換」と位置付け、スイスは自由民主主義を積極的に擁護しなければならない局面を迎えていると指摘した。

同氏は、スイスがあらゆる分野で自国の安全保障強化に努めることを喫緊の課題だとし、責任を伴うデジタル化の推進と「安全保障体制の拡充」をCH++の目標に掲げている。

パラノヴァ氏は2月末に行った講演で、「精神的国土防衛2.0」構想を披露した。戦間期にスイスが国家への帰属意識を高め、外国からの脅威に対抗するために作り上げた構想「精神的国土防衛」になぞらえたものだ。

スイス独自のナラティブを構築せよ

バラノヴァ氏が訴えるのは、「情報社会」を守ること、「強固な民主制」を確立すること、そして国家としての団結を深める伝統を打ち立てることだ。政府側には、サイバー防衛に注力しつつ、国内の体制を整える姿勢が求められると指摘。同氏はその中でも特に、スイス全土に共通するナラティブについて議論し、それを構築することが必要だと呼びかけた。

オルガ・バラノヴァ氏
バラノヴァ氏は安全保障に関する包括的な構想を導入し、スイスが新たな「精神的国土防衛」を巡る議論を主導するべきだと主張する Keystone / Jean-Christophe Bott

スウェーデンに学ぶ、偽情報への包括的アプローチ

「自由意志の国」、「多様性」、「泰然」、「強固な民主制」。バラノヴァ氏の演説では、このような力強い言葉が目立った。とはいえ21世紀の我々にとって、国民に共通するナラティブやアイデンティティは、今なお安全保障戦略に組み込む意義があるのだろうか?

政治学者で「Putins Angriff auf Deutschland: Desinformation, Propaganda, Cyberattacken(仮訳:プーチンの対ドイツ戦~偽情報、プロパガンダ、サイバー攻撃)」の共著者であるレオン・エーレンホルスト氏によれば、答えはイエスだ。同書では、昨今の危機的状況を巡るヨーロッパ諸国のアプローチが概観できる。siwssinfo.chの取材に応じた同氏は「偽情報の脅威を前にスウェーデンが講じる対策は注目に値する。なぜなら、包括的な手法が採用されているからだ」と述べた。「レジリエンス強化」の一環として同国が採用する手法が、「強固な民主制を持つ国家としての自負を育むナラティブ」だと説明した。

当然ながら、ナラティブだけでは不十分だ。スウェーデンではその他にも、偽情報の監視や、人工知能およびメディアリテラシー形成に関する教育プログラム、「緊急時の対策」まで、幅広い取り組みが進められている。エーレンホルスト氏は当局の話として、「偽情報を拡散するサーバーを軍事的手段でシャットダウンすることも検討している」と語った。

偽情報に備えるプレバンキング戦略

外国による世論誘導への対策として、エーレンホルスト氏が重視するのが「プレバンキング」だ。

これは、誤った情報を後から訂正するのではなく、事前に正しい情報を発信しておくほうが良い結果が得られるとする考え方だ。新型コロナウイルス症候群のワクチンが典型例だという。「例えば、あるワクチンの影響やリスクに関する正しい情報を、他の情報に先んじて発信することだ」。正しい情報を得た後に初めて疑わしい情報に触れた場合には、事前情報が全くなかった場合と比較して、後から触れた疑わしい情報を信じなくなる傾向があるという。

同氏もまた、偽情報対策には国家間の連携が有効だと評価し、国際協力なしには対抗できない問題もあると指摘した。EUが策定したSNS規制「デジタルサービス法(DSA)」をその好例に挙げた。

国ごとの取り組みも欠かせない。「偽情報は常に、国内に生じている溝を狙って拡散される」(エーレンホルスト氏)

スイスの偽情報との戦いはまだ始まったばかりだ。

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担当: von Wyl Benjamin

虚偽情報は直接民主主義に対する大きな脅威だと思いますか?

専門家は、直接民主制は政策決定において市民に重要な役割を与えるため、虚偽情報はスイスなど直接民主主義国家に最も悪影響を及ぼすと指摘しています。

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編集:David Eugster、独語からの翻訳:本田未喜、校正:ムートゥ朋子

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