The Swiss voice in the world since 1935
パーソナルフィード

ログインしてフィードにトピックを追加しましょう。

今すぐ登録
お気に入りリスト

ログインして記事を保存リストに追加しましょう。

今すぐ登録
トップ・ストーリー
スイスの民主主義
ニュースレターへの登録
トップ・ストーリー
ディベート
すべての議論を見る

スイスに囲まれたドイツの村「ビュージンゲン」

ビュージンゲンはスイスのシャフハウゼン州、トゥールガウ州、チューリヒ州に囲まれているが、ドイツの村だ 
ビュージンゲンはスイスのシャフハウゼン州、トゥールガウ州、チューリヒ州に囲まれているが、ドイツの村だ  Keystone / Felix Kästle

スイス国内にある外国の飛び地としては、イタリアに属するカンピオーネ・ディタリアが有名だが、歴史のいたずらによって、ビュージンゲンというドイツの自治体も、スイスの領土に囲まれている。

おすすめの記事

スイス北部の都市シャフハウゼンの中心からライン川沿いに東へ車を走らせると、4km足らずでドイツの「ビュージンゲン・アム・ホッホライン」にたどり着く。

昔も今も、両国間には税関もなければ、国境警備隊もいない。そのまま東へ進めば、5分もたたないうちにビュージンゲンを通り抜け、ふたたびスイスに入る。目をこらしてよく見れば、郵便ポスト、銀行の看板、バス停などにちょっとした違いがあり、ビュージンゲンがスイスではないことに気づく。

外部リンクへ移動

なぜ、ビュージンゲンはスイスではないのだろうか?事情は複雑だ。実際には何世紀もさかのぼることができるが、ここでは1770年から始めよう。この年、ハプスブルク家がビュージンゲンの東側に隣接するドルフリンゲンという村の領有権をスイス連邦のチューリヒに売却した。

ビュージンゲンは突然スイスの自治体に囲まれることになり、結果としてスイス領土に浮かぶ外国の飛び地となった。当初はオーストリア領だったが、その後バーデン大公国へ、ワイマール共和国時代にはバーデン州へと移譲され、第二次世界大戦後は南バーデン州、そして1952年以降はバーデン・ヴュルテンベルク州の一部となった。

1805年、フランツ1世とナポレオンが参加したプレスブルク会談(アウステルリッツの戦いでオーストリアが敗北したあとに開催されたプレスブルク和平交渉)において、「前部オーストリア」(ドイツ南西部に点在していたかつてのハプスブルク領)がバーデン大公国とヴュルテンベルク王国に分割された。このとき、ビュージンゲンはヴュルテンベルク王国に併合されたが、5年もたたないうちにバーデン大公国へ譲渡された。

当時のビュージンゲンの住民には、自らの意思を表明する機会が与えられず、権力者の決定に従うほかなかった。第一次世界大戦が終わり、彼らは初めて自らの運命を切り開こうとした。1918年に住民投票を実施し、投票者の96%がこのドイツの村をスイス連邦に併合することに賛成した。スイスはビュージンゲン住民の要求を検討したが、併合は拒否した。

第一次世界大戦の終結からドイツでナチスが台頭してくるまでの期間、ビュージンゲンは何度もスイス編入を試みたが、バーデン側の強硬な反対、あるいは脅しを受け、ことごとく失敗に終わった。

第二次世界大戦中はスイスが国境を閉鎖し、ビュージンゲンはドイツ本土から孤立した。戦後、イギリスのある下院議員がビュージンゲンのスイス編入を提案したが、スイス政府が断固として反対した。

終戦後に開かれたシャフハウゼン州とドイツの国境を定める交渉でも、ビュージンゲン問題が議題に上ったが、ドイツ・コンスタンツ郡の強い反対により、すべての議論は打ち切られた。 of the Constance district finally ended all discussions.

ビュージンゲンはライン川へと緩やかに下る丘の上にある。ビュージンゲンで南へ向けてほぼ直角に曲がるライン川の対岸にはトゥールガウ州が広がり、それ以外の方角はシャフハウゼン州に囲まれている(加えて、このドイツの飛び地はライン川の200mをチューリヒ州と共有している)。

村の高台にある聖ミヒャエル教会(ベルクキルヒェ・ザンクト・ミヒャエル)や、飛び地北部の丘の斜面に広がるブドウ畑を訪れる観光客の目に入るのはスイスの景色だけだ。しかし、そこから東に移動してテニスコートやサッカー場を通り過ぎると、幅500mほどの細長い土地に出る。そこはスイスだ。この500mを横切るとドイツ本土に入る。

ビュージンゲンでスイスとドイツの国境を示す123個の石碑の1つ 
ビュージンゲンでスイスとドイツの国境を示す123個の石碑の1つ  © Keystone / Gaetan Bally

つまりこの村はドイツ本土からわずか500mしか離れていない。1956年の最後の交渉でコンスタンツ郡はスイスに、いわば通路としてこの500mの土地の譲渡を求めたが、スイスは応じなかった。ドイツから見返りとして求めるのに適した土地が見つからなかったからだ。

しかし、たとえわずか数mの距離でも、ビュージンゲンに住むドイツ国民(住民1541人のうち4分の1はスイス人)の日常生活に、少なからず現実的な問題が生じている。

国際条約

そうした問題を解決するために、1964年にスイス連邦とドイツ連邦共和国のあいだで「ビュージンゲンのスイス関税区域への編入に関する条約」が結ばれ、ビュージンゲンとスイスの関係が規定された。

1967年に発効したこの条約は44条からなり、そのタイトルが示すように、ビュージンゲンのスイス関税区域への編入を決めたが、そのほかにも日常生活における最も重要な法的問題を正式に整理した。

一方、カンピオーネ・ディタリアはまったく逆の道を歩んだ。2020年1月1日にスイスの関税区域を離脱して欧州連合の関税区域に加入した。ただしこの動きは、カンピオーネの住民の多くを失望させることになった。

条約の影響

ビュージンゲンで商品やサービスを購入すると、ドイツ本土の付加価値税(19%)ではなく、スイスの付加価値税(8.1%)が適用される。スイス人と同じで、ビュージンゲンの住民も、EU内での購入品に対していわゆる「免税」措置を受けることができる。要するに、支払った税金の払い戻しを受けることができる。

2021年から村長を務めるヴェラ・シュラーネル氏によると、「ビュージンゲンで暮らす就労者のほとんど、数字でいうとおよそ95%がスイスで働いている」。つまり、スイスフランで給与を受け取っている。そのため、食料品店と2軒のレストランでは公式の支払い通貨はユーロだが、実際にはフランも使われている。

しかし2015年にスイス国立銀行がフラン・ユーロ最低為替レート(1ユーロ=1.20フラン)を撤廃して以来、フランの価値上昇がビュージンゲン市民にとって大きな問題となった。税金はドイツの税務当局にユーロで納めなければならないからだ。

「フランの価値が上がれば上がるほど、ユーロ換算での収入が増えるため、税負担も増す」とシュラーネル氏は説明する。「ドイツの累進課税制度は傾斜が特に急なので、なおさらだ」。これは軽視できる問題ではない。同じ収入に対してスイスで税金を納める場合、ドイツのベルリンに納める額の約半分で済むからだ。

住民はこの状況を繰り返しドイツ当局に訴えてきたが、満足のいく回答は得られていない。

シュラーネル氏は、この税負担を理由に、「ビュージンゲンまたは近隣のドイツで働く若者の多くが、高すぎる生活費を理由にほかの土地へ移住している」と付け加えた。「そのため、村は高齢化が進んでいる。平均年齢は52.2歳で、ドイツで最高齢の村の1つになっている」

ビュージンゲンとカンピオーネ・ディタリアの奇妙な日常

特殊なのは通貨事情だけではない。村の広場を右に進めば役場があり、役場正面のやや左手には、ドイツ郵便の看板を掲げた郵便局がある。しかし入口の上に目を向けると、スイスの郵便番号(CH-8238)とドイツの郵便番号(D-78266)が並んでいるのが見える。このドイツの郵便局がスイスの郵便サービスも提供しているからだ。

最近まで、ティチーノ州に囲まれたイタリアの飛び地カンピオーネ・ディタリアでも同様だった。

かつてはスイスとドイツの2つの電話ボックスが並んでいた
かつてはスイスとドイツの2つの電話ボックスが並んでいた © Keystone / Gaetan Bally

同じ広場のバス停の隣には、かつてスイスとドイツの2つの電話ボックスが並んでいた(今では緊急時専用の電話が1台あるだけだ)。郵便局と同じで、固定電話の市外局番もスイスの番号(052)とドイツの番号(07734)の2つがある。カンピオーネ・ディタリアは過去2年間で多くの変化を経験したが、電話の局番は今もティチーノのもの(091)だけが使われている。

ドイツの医療保険制度はスイスのそれと似ている(民間保険だが加入が義務付けられている)ため、ビュージンゲンの住民はスイスかドイツかを選んで保険に入ることができる。カンピオーネ・ディタリアでは事情が大きく異なっていて、ここではイタリアが飛び地住民のためにスイスでの医療費を支払っている。ただし、この仕組みは費用がかかりすぎるため、イタリア・ロンバルディア州は制度の見直しを求めている。

法律に関しては、カンピオーネではイタリア法のみが適用されるためわかりやすいが、ビュージンゲンでは複雑だ。一般に、農業、麻薬犯罪、葬儀、飲食店の営業管理にはスイス法が適用される。一方、建設、窃盗、マネーロンダリング、婚姻にはドイツ法が用いられる。

2020年まで、カンピオーネ住民の自動車はティチーノ州で登録されていた。現在は、車両(中古車も含む)の新規登録はイタリアのコモで行わなければならない。ビュージンゲンは別の解決策を選んだ。住民が1500人に満たないにもかかわらず、独自のナンバープレート「BÜS」を導入した。税関職員はこのナンバープレートがスイスの関税区域に属するものだと理解している。

もうひとつ、興味深い話がある。地元のサッカーチーム「FCビュージンゲン」は、ドイツのチームとして唯一、スイスのサッカーリーグに加盟している。「APカンピオネーゼ」も唯一のイタリアのチームとしてスイスのリーグに参加している。

編集:Riccardo Franciolli、英語からの翻訳:長谷川圭、校正:宇田薫

人気の記事

世界の読者と意見交換

この記事にコメントする

利用規約に沿って、コメントをご記入ください。 ご質問やご意見がございましたら、ご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部