スイスのAIが野生動物を識別 世界中の生物学者の研究支援
アラスカでのクマの個体識別からアルプスでのシカのモニタリングに至るまで、スイスとアラスカの大学の研究チームが開発した人工知能(AI)システム「PoseSwin」が、野生生物保護に新たな地平を切り拓いている。クマ被害に悩む日本でもAIシステムが市場に投入されている。
アラスカ太平洋大学の研究者ベス・ローゼンバーグ氏(生物学・生態学)は電気も水道もないアラスカの僻地で20年間、クマを観察し続けてきた。今では頭や鼻の形、小さな傷跡、あるいは特有の行動から、どのクマかがわかるという。
「クマの中には、いつも同じ方法で魚を捕る個体や、仲間と遊ぶのが好きな個体もいる。少し時間をかけて観察すれば、個体ごとの違いがすぐにわかる」とローゼンバーグ氏は語る。
この知見は、連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)とアラスカ太平洋大学が開発した、AIによるクマの個体識別システム「PoseSwin」に生かされている。システムのAIトレーニングは、ローゼンバーグ氏の豊富な経験と、マクニール川沿いで6年間にわたり収集された数千枚の写真に基づいて行われた。この川には毎年、上流へ遡上するサケを捕食するために、何百頭ものヒグマが集まる。
これらの捕食者を研究することは、生態系の健全性や種が気候変動にどのように反応するかを理解するために不可欠だ。しかし、これほどの僻地で、非侵襲的な方法でそれを行うのは困難を極める。ここで真価を発揮するのが、AIの存在だ。
ローゼンバーグ氏は「野生生物や生態系の理解を深め、その保全・管理を促進することにおいて、AIが大きな可能性を切り開くかもしれない」と期待する。
鼻先でクマを識別
「PoseSwin」は、頭の形や輪郭などの身体的特徴に基づき、マクニール川に生息するクマを識別する。異なる場所・時間に撮影された同じクマの画像から移動を追跡したり、これまで観察されたことのない新しい個体を特定したりすることもできる。ローゼンバーグ氏は「前例のない」システムだと評価する。
AIは大量の画像を分析し、研究者らがクマの反復的なパターン(餌を食べる場所、休息する場所、移動するルートなど)を特定し、その行動を研究するのを支援する。
ローゼンバーグ氏は「これにより、クマやその個体群動態をより深く理解し、多くの重要な生態学的疑問に答えることができるようになる」と話す。
しかし、ここまでの道のりは容易ではなかった。
シマウマやヒョウとは異なり、クマの毛皮には個体を容易に識別できる模様がない。コンピュータビジョンシステム(人間の視覚を「模倣」して画像や動画を分析・解釈するAI技術)による識別が特に困難なのはそのためだ。さらに、クマの外見は一年を通じて大きく変化する。冬眠前には体重が100kg以上増えることもあり、夏から冬にかけて毛並みも完全に変わる。
「これだけでは、熟練の研究者でも識別が困難になる」とローゼンバーグ氏は話す。
システムのトレーニングにあたり、ローゼンバーグ氏は100頭以上のクマを撮影した画像約7万3000枚を手作業で選定した。これらは雨の中、異なる時間帯や角度から撮影されたものだ。研究チームは主に動物の頭部に焦点を当て、鼻の形、眉弓の構造、耳の位置、横顔など、時間が経過しても比較的安定している特徴を特定した。
「AIシステムは繰り返されるパターンを認識するのが非常に得意」とローゼンバーグ氏は説明する。「しかし、明確な識別特徴を持たない種を扱う場合は、それがはるかに困難になる」
データ準備作業には数年を要した。ローゼンバーグ氏は2018年、EPFLのブレイン・マインド研究所のアレクサンダー・マティス教授に共同研究を提案した。
マティス氏は「私たちはコロナ禍の大部分を、コンピュータの前で休むことなくプログラミングに費やした」という。
ローゼンバーグ氏によると、データセット構築には8年を要した。それだけの時間をかけなければ、モデルの個体識別学習に十分な基盤を作れなかったという。「これは、人間の脳がいかに複雑であるかを如実に物語っている」
次のステップはシステムをより広範な範囲でテストすることだ。他の地域や、モデルがこれまで見たことのない動物をターゲットにした。
AIは魔法ではない」
ローゼンバーグ氏は、このモデルが将来、スイスアルプスに生息するオオカミやシカなど、鼻が長い他の種にも適用できると考えている。しかしAIモデルを、別の環境へ転用するのは大きな課題でもある。
EPFLの環境計算科学・地球観測研究所の責任者デヴィス・トゥイア氏は「アラスカで学習させたモデルがスイスでもうまく機能する可能性は低い」と語る。
トゥイア氏のチームは、9台のカメラトラップで収集した画像や動画を通じ、アルプスの野生動物を認識し、行動を分析するAIモデル「MammAlps外部リンク」を開発した。しかし、こうした成果を得るには、数千枚の画像へのラベル付けやモデルパラメータの最適化など、長期間にわたる手作業が必要だったという。
トゥイア氏は「AIは魔法ではない。モデルの価値は、それを学習させたデータの質に左右される。それは、その背後にある人々の時間と努力なくしては実現しない」
人間と野生生物の共存を改善
こうした限界はあるものの、トゥイア氏は、この技術は大きな可能性を秘めると期待する。AIシステムは数秒で何百万もの画像や動画を自動的に分析でき、生物学者や公園管理者が生態系の仕組みやその変化をより深く理解し、より的確な保全判断を下すのに役立つ。
こうした知見は、人間と野生生物の共生関係の改善にもつながる可能性がある。「動物の行動パターンを把握できれば、例えば、より安全で適切な遊歩道の設計が可能になる」とトゥイア氏は説明する。
スイスなど、オオカミの管理(特に家畜への襲撃)をめぐる議論がますます激化している国々では、こうしたツールが極めて有用となる可能性が高い。
将来的には、一般市民が研究者と協力してデータ収集や分析を行う「シチズンサイエンス(市民科学)」が大きく寄与しそうだ。つまり一般の人々がiNaturalistのような共有プラットフォームに自身の観察記録をアップロードすれば、大規模なデータが集まる。そうしたデータを利用すれば、これらのAIモデルははるかに広範な規模で応用されるようになるかもしれない。
「私たちは、1枚の写真から地球規模のデータセットを構築している」とトゥイア氏は語る。
ローゼンバーグ氏も、このアプローチに大きな可能性を見出している。同氏のチームは今夏、世界中の一般の人々が撮影したヒグマの画像を収集するプラットフォームを立ち上げる予定だ。
「一般の人々が撮影した写真を活用して地図を作成し、動物たちがより広範囲にわたりどこを移動しているかを把握する」ことが狙いだとローゼンバーグ氏は話す。「動物たちの生息域を侵害することなく得られる知見の可能性は計り知れない」
日本でもAI検知システムが導入
日本でもクマによる人的被害は近年急増している。環境省のまとめでは2025年度の被害者数は今年2月までに22都道府県で計237人、うち死者数は北海道・東北地方で13人(いずれも速報値)と10年間で過去最悪を記録した。餌不足や過疎化による人里と山の境界が希薄化したことが要因とみられる。
政府は今年3月、地域ごとのクマの捕獲目標数などを盛り込んだ2030年度までの対策のロードマップを閣議決定し、クマ対策にさらに力を入れる方針だ。
民間でも、AIを活用したクマ検知・警告システムを展開する企業が出てきている。
防犯システム大手のダイワ通信(金沢市)が開発した「Face Bear(フェイスベア)」はAIカメラでクマを検知し、モバイルアプリを通じて出没した日時や位置情報をリアルタイムに通知する。約5万枚超のクマの画像や動画をAIに学習させ、クマの識別を可能にした。石川県内での実証実験では99%以上の識別精度を達成し、山間部の農園や通学路での早期警戒システムとして自治体などへの導入が進む。
AIによる車番認識システムなどを手掛けるレッツ・コーポレーション(名古屋市)が開発した「AI熊さんカメラ」シリーズはAIが映像を解析してクマを特定すると、連動した回転灯の光や音声アラートで周囲に危険を知らせ、同時にクマを威嚇する。上位モデルでは最大100m先の検知が可能だ。同社広報担当者は「ターゲット層はクマが出没する地域(北海道・東北・北陸)の自治体・農家・宿泊施設・工事建設関係の企業などで、昨年11月の予約販売開始以降、学校や警備会社から申し込みがあった」と話す。
猟師の減少が深刻な社会問題となる中、こうした最先端のデジタル技術が人獣共生の新たな「監視の目」として期待を集めている。
編集:Gabe Bullard、イタリア語からの翻訳:宇田薫、校正:大野瑠衣子
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