WHO事務局長選 財政危機と分断された世界で問われる「組織の再定義」
米国の脱退による深刻な財政難、人員削減、そして地政学的対立――。世界保健機関(WHO)は今、大きな転換点に立たされている。2027年に選出される次期事務局長には、科学機関としての信頼性を守りながら、加盟国約200カ国の利害を調整する政治力が求められる。事務局長選はWHOの将来像を問う争いになりそうだ。
WHOでは、テドロス・アダノム・ゲブレイェスス事務局長の任期が2027年8月に満了するため、次期事務局長選出に向けた手続きが進められている。公式のスケジュールによると、2026年4月に加盟国による候補者の推薦が始まり、選挙を経て、2027年5月の世界保健総会で新事務局長が任命される予定だ。
選出プロセスはまだ初期段階だが、財政危機、大幅な人員削減、地政学的対立など、WHOが直面する課題を考えれば、政治色の強い争いになるとみられる。
事務局長の任期は1期5年で2期まで。テドロス氏は2017年にWHO事務局長に就任し、2022年に再選された。同氏は、新型コロナウイルス感染症のパンデミックへの対応でWHOの認知度を高めた一方、感染拡大初期の対応や中国との関係をめぐり批判も浴びた。
WHOの資金調達スキームは任意拠出金への依存度が高く、政治情勢の変化に左右されやすい。歴史的に最大の拠出国だった米国が2025年、正式な脱退手続きを開始。これが財政危機を招き、WHOは予算と人員の大幅な削減を余儀なくされた。
WHOは2026~27年の2年間の予算を21%削減した。2026年は人員も最大25%削減する見通しだ。
マンパワーの脆弱化
予算削減の影響はWHOのあらゆる部門に及んでいる。
WHOに6年勤務する技術職員の1人は、メディアに話せば職を失う恐れがあるとして、匿名を条件にスイスインフォの取材に応じ、大規模な人員削減後の組織内の雰囲気について「非常に緊迫している」と語った。「チームの人数は40%減ったが、業務量は変わっていない。一部のプログラムは一夜にして打ち切られた。WHOは、人員削減は認めたが、それによる対応力の低下は決して認めなかった」。同職員によると、人員削減はほぼ一夜にして行われ、多くの場合、戦略的な優先順位の見直しに基づくのではなく、コンサルタントや短期契約職員を中心に整理が進められたという。
その結果、組織は逼迫し、各チームは緊急の危機対応と長期的業務の両方に追われている。同職員は、「今日、私たちは選択を迫られている――現場での緊急事態に対応するか、ガイドラインの作成に取り組むか。もはやどちらも適切に処理するのは不可能だ」と話す。
こうした状況の中、WHOは本来、何を優先すべき組織なのかという長年の議論も再燃している。
戦略的ジレンマ 規範か、実務か?
ジュネーブ国際開発高等研究所(IHEID)グローバルヘルスセンターの共同ディレクター、スエリー・ムーン氏は、今回の財政危機によってWHOは自らの役割の再定義を迫られていると述べる。
「予算削減によって浮かび上がった大きな疑問の1つは、WHOの中核的機能は何かという点だ」(ムーン氏)
加盟国の間でも意見は分かれる。WHOは世界的な保健基準やガイドラインを策定する役割を優先すべきだとする国がある一方、危機における直接的な支援の提供など、WHOにより実務的な役割を期待する国もある。WHOの優先課題をめぐる議論は長年にわたり続いており、高所得国は概して規範的な役割を支持し、開発途上国は実務的な支援を重視する、とムーン氏は話す。
同氏によれば、削減はこれまで「広範囲」で行われており、組織のあらゆる部門が「手薄な状態」に追い込まれている。
だが、財源の早急な回復は見込めないため、次期事務局長はより明確な選択を迫られるかもしれない。
分断された世界におけるWHO事務局長の政治的役割
組織内の課題はさることながら、WHOはより複雑な地政学的環境の中で活動している。
ムーン氏は、「事務局長は非常に難しい役割だ」とし、「政治家であり、指導者であり、外交官でなければならない」と述べる。
事務局長は、加盟国約200カ国の利害のバランスを取りつつ、科学的信頼性を維持し、競争が激化する状況下で資金確保にも取り組まなければならない。
テドロス氏の任期中、事務局長の政治的役割はより鮮明になった。特にコロナ禍では、WHOは科学的権威の維持に努める一方、主要国間での難しい舵取りを迫られた。
英医学誌ランセットに最近掲載された記事の中で、医療特許などの情報を提供するオンラインプラットフォーム「Medicines Law and Policy外部リンク」のディレクター、エレン・オーエン氏は、多様な主体がグローバルヘルス分野で影響力を強め、「多国間主義が圧力にさらされている世界で」、次期事務局長は「WHOの多国間的役割を強化」しなければならないと指摘した。
また、同誌の記者ジョン・ザロコスタス氏は、保健分野の外交官の間ではすでに、数名の候補者名が取り沙汰されていると報じる。WHOの米州事務所である汎米保健機構(PAHO)のジャルバス・バルボーザ事務局長、WHO東地中海地域事務局のハナン・バルキー事務局長、そしてインドネシアのブディ・グナディ・サディキン保健相だ。
求められる強力なリーダーシップ
直面する諸課題にもかかわらず、ムーン氏はWHOの重要性が脅かされているとは考えていない。
同氏は、特に国際的な公衆衛生上の緊急事態を宣言できるWHO独自の権限を例に挙げ、「WHOは依然としてグローバルヘルスの中核組織だ」と述べる。
コロナ禍では、WHOは2020年1月に「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言し、後に新型コロナウイルス感染症をパンデミックと認定した。世界的な指針や研究活動を調整し、「COVAX(コバックス)ファシリティー」など新型コロナワクチンを途上国にも公平に分配する国際的な枠組みを主導した。
WHOが今後もこのような役割を果たせるかどうかは、2027年に就任する次期事務局長の手腕にかかっている。
匿名で取材に応じた前出の技術職員にとって、優先事項は明らかだ。それは、より強力なリーダーシップとより明確な方向性だ。
「私たちが必要としているのは決断できる人だ。WHOは何に注力すべきかを決め、それを実行に移す勇気のある人が求められている」
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編集:Virginie Mangin/ds、英語からの翻訳:江藤真理、校正:大野瑠衣子
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