おすすめの記事 ガイドブックに載っていない、夏のチューリヒ2015 このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/06 熱波の影響で、2003年以来の記録的な暑さが続いた今年のスイスの夏。チューリヒ州でも猛暑が数週間続き、気温が35℃を超える日々も続いた。そんなチューリヒの街では今、芸術家達のアート作品が野外で展示される「サマーフェスティバル(The Summer Festival)」が開催中で、街全体が熱く賑わっている。夏のアートの展示は不定期で数年に一度、様々な趣向を凝らし行われる。今回は今年の街のアートの話題も絡め、ガイドブックではあまり語られていない筆者のおススメ、夏のチューリヒの街歩きをご紹介する。 もっと読む ガイドブックに載っていない、夏のチューリヒ2015
おすすめの記事 文化 飲み会とスポーツで伝統育む、農村青少年クラブ このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/05 スイスのフランス語圏、ヴォー州とフリブール州にある農村青少年クラブの元気がいい。農業の利益を守る目的で20世紀初頭に設立された団体だが、時代の流れに合わせながら今日までその魅力を保ち続けている。クラブが開催する祭りやスポーツイベントを通し、農村に生きる若者は郷土への愛着心や伝統を育む。 エロディ・ミランドさんは、あらゆる偏見の逆をいくような女性だ。男性優位で保守的、愛国主義で外に対して閉鎖的というイメージが強い農村青少年クラブの中で、イタリア人の血を引く彼女が頂点に立ち、「ル・ジロン・ドゥ・ラ・ブロワ」というイベントの指揮を執る。この祭りはヴォー州の夏を彩る四大イベントの一つだ。 もっと読む 飲み会とスポーツで伝統育む、農村青少年クラブ
おすすめの記事 文化 農村青少年クラブの世界 このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/05 ヴォー州の農村青少年クラブはとても活気付いている。年々、参加者が増えている同クラブ主催のイベント。7月のとある週末、スイスインフォはヴォー州にある小さな村クレマンへ向かい、3万人以上が参加した伝統的イベント「ジロン・ドゥ・ラ・ブロワ」のようすを取材した。 「ジロン」と呼ばれるこのフェスティバルは、農村青少年クラブにとって1年のハイライトだ。毎年夏に5日間開催され、スポーツ競技やさまざまなイベントが行われる。 主催者のヴォー州農村青少年クラブ連盟(FVJC)はヴォー州をブロワ、中央部、北部、ユラ山脈南部の4つの区域に分け、それぞれの区域で夏に大規模なジロンを開催する。 このフェスティバルで行われるスポーツ競技はペタンク、バレーボール、サッカー、陸上競技、クロスカントリー、綱引き、シュヴィンゲン(スイス相撲)などさまざまだ。そして日曜日には公式セレモニーが開かれ、村ではパレードが行われる。会場には休憩所やたくさんの屋台、酒場が設置され、農村青少年クラブのメンバーたちはフェスティバルの開催期間中、各クラブの名前やシンボルマークが描かれたキャンピングカー、トレーラー・ハウス、古いバスなどに寝泊りするのが恒例だ。 またジロンでは5年に一度、さまざまな地域の農村青少年クラブが一堂に会す「Cantonale(州のフェスティバル)」が3週間に渡り開催される。年間を通してもさまざまなイベントや催し(ロト、建国記念日、新年、射撃祭、ラリー、スキーキャンプなど)が行われ、村の人々にとって、このようなイベントや行事はとても重要な意味を持っている。 スイスインフォは2015年7月15~20日に開催された「ジロン・ドゥ・ラ・ブロワ」を訪れ、農村部の伝統を全力で継承しようとする若者たちの姿に密着した。 (写真・Christoph Balsiger、Samuel Jaberg、swissinfo.ch) もっと読む 農村青少年クラブの世界
おすすめの記事 人口動態 スイスの歴史 このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/04 スイスは、支配者の異なる領地が何世紀もの時間をかけて次第にまとまり、自治体のゆるやかな同盟から連邦国家へと発展した。 もっと読む スイスの歴史
おすすめの記事 人口動態 ジュネーブへの移民労働者の増加 その背景は? このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/03 スイス西部の都市ジュネーブには2014年、約8300人の新住民が流入した。その多くが労働目的の外国人だ。これは1960年代以来、最大の人口増となる。どのような人々が、どんな目的でやってくるのだろう?新住民に話を聞いた。 もっと読む ジュネーブへの移民労働者の増加 その背景は?
おすすめの記事 人口動態 つい寄り道したくなる……愛すべき路地裏の世界@バーゼル(前半) このコンテンツが公開されたのは、 2015/07/30 今年のファスナハト(カーニバル)で、パレードに参加する機会を得た。仮装グループに同行する形で、旧市街の界隈を共にねり歩いたのである。通ったのは、細く狭い路地ばかり。この体験が、それまで抱いていたバーゼルの街に対する印象を、すっかり変えてしまった。 もっと読む つい寄り道したくなる……愛すべき路地裏の世界@バーゼル(前半)
おすすめの記事 文化 出産で傷ついた女性たちを救うスイス人医師 このコンテンツが公開されたのは、 2015/07/29 ジュネーブの医師シャルル・アンリ・ロシャさんは過去20年間、西アフリカのベナン北部に住む、難産で合併症を患った女性たちの治療に取り組んできた。 女性たちが患っているのは「膣ろう」として知られるフィスチュラだ。本来ならば、… もっと読む 出産で傷ついた女性たちを救うスイス人医師
おすすめの記事 文化 名作「ウルスリのすず」出版70周年 芸術家カリジェに光をあてる このコンテンツが公開されたのは、 2015/07/28 絵本「ウルスリのすず」は原作に使われたロマンシュ語の他に、英語、日本語、アフリカーンス語など、幅広い言語に訳され親しまれている。こうした絵本の人気にも関わらず、もしくはそのような人気ゆえか、絵本のイラストを担当したアロイス・カリジェは画家として認められることを求めていたという。 ずっと遠く、高い山のおくに、みなさんのような男の子が住んでいます…。このようなかたちで始まる「ウルスリのすず」の冒頭部分は、子どもたちの間ではおなじみの文章だ。しかし、この作品が何十年もの間、子どものベッドタイムのお気に入りの絵本として愛され続けたのは、アロイス・カリジェ独特のイラストのお陰だ。絵本では、クルクル天然パーマの髪の毛の上に、ちょこんと小さなとんがり帽子をのせた主人公の男の子ウルスリが、村の春を迎える祭りで先頭を歩くために、大きな鈴を捜しに出かけていく…。 1945年の出版以来、少なくとも100万部が売れ、ゼリーナ・ヘンツ原作のこの物語は9カ国語に訳された。ドイツ語版はロマンシュ語と同時に出版された。 カリジェは「フルリーナと山の鳥」など他にも絵本を制作しているが、どの作品も「ウルスリのすず」ほど人気を博していない。66年、カリジェは国際アンデルセン賞の画家賞を受賞している。 2015年の今年、絵本「ウルスリのすず」は出版70周年記念を迎える。またカリジェ没後30年にあたる年でもあり、新しく製作された映画「ウルスリのすず」も秋に公開を控えている。こうしたことからチューリヒ国立博物館では現在、絵本のイラストだけにとどまらない、カリジェのさまざまな作品の魅力をとらえる時だとしてカリジェの展覧会を開催している。 マルチタレント 「カリジェは単なる『ウルスリのすず』の生みの父というわけではなく、ただの画家というわけでもない。彼は素晴らしいグラフィックデザイナー、舞台美術家であり、『キャバレー・コルニション』の共同創業者でもある」と話すのは、パスカル・メイヤーさんだ。同館で15年6月10日~16年1月まで開催される「アロイス・カリジェ アート・グラフィックアート・ウルスリのすず」展の学芸員を務めている。 カリジェは1902年、11人兄弟の7番目としてグラウビュンデン州南東部のトゥルンに生まれた。カリジェ本人によれば、当時はまだ貧しかった同州の田舎の山奥でのどかな幼年期を過ごし、その後、家族と共に州都クールへ引っ越したという。また、家族とはロマンシュ語で話していた。 室内装飾を学んだカリジェだが、独学で学び広告デザイナーとしても活躍。観光業界や、39年に開催されたスイス博覧会のポスターにも作品が使われた。「カリジェの作品はウィットとユーモアに富んでいる。スイスの偉大なグラフィックデザイナーの一人だ」とメイヤーさんは話す。 またカリジェは、34年にオープンし51年に閉店した伝説の「キャバレー・コルニション」の舞台美術も担当した。メンバーの中には当時俳優としてよく知られていた、カリジェの兄弟のサーリ・カリジェもいた。 だが、カリジェの心のよりどころはやはり芸術だった。39年、カリジェは画業に専念するため、郷里グラウビュンデン州の山奥へと移る。 カリジェのアート アロイス・カリジェ展の開催にあたり、カリジェの初期の作品をいくつか貸し出したグラウビュンデンの州立美術館(ビュンドナー美術館)のステファン・クンツ館長は、カリジェは自身が作り上げたイメージである「グラウビュンデン州出身の貴重な芸術家」として知られていたが、同時に「カリジェは州の境界線を越えた、一人の重要な芸術家としても評価されていた」と話す。 カリジェは独自のスタイルを生み出し、それを洗練していった。自分のまわりにあるモチーフを使い、躍動感や力強さあふれる構図に取り入れていった。近所の人々にとって、カリジェは時に何を考えているかわからない人物だったと、クンツ館長は話す。「隣人たちの日々の生活とはかけ離れたことをする存在だったが、農業を営み畑を耕す、ごく普通の人々である隣人に、カリジェは敬意を払っていた。彼らがカリジェに、なぜいつも牛を赤色で描くのかと質問すると、カリジェはこう答えた。『私は芸術家だから、少し頭がおかしいんだ』。しかし隣人たちもまた、常にカリジェに敬意を払っていた」 51年、チューリヒで描いた巨大壁画をきっかけに、カリジェは画家として世間に名を知られるようになる。しかし、その頃すでに得ていたイラストレーターとしての名声だけでなく、グラフィックデザイナーとして制作した多くの作品が、カリジェの芸術家としての名声を損じてしまった、とクンツ館長は話す。 故郷や伝統をモチーフにするスタイルもそれに拍車を掛けた。物ごとがもっとシンプルだった時代を振り返るウルスリの絵本が、戦後の保守的な考え方が見直されていたこの時期に出版されたのは偶然ではない。 「だが芸術家、画家としての彼の作品を見れば、そこにはまた他の良さがみえる。カリジェは素晴らしい画家になった」と、カリジェの作品にみられる遠近法や絵画空間の処理の仕方を例に挙げながら、クンツ館長は高く評価した。 ウルスリのアピール はじめのうち、カリジェは画業に専念することを理由に、ウルスリの絵本のイラスト制作の依頼を断っていた。また主人公のイラスト制作に長い間苦戦したため、制作に取り掛かってから出版されるまで、5年の年月が掛かった。 しかしドイツ語とロマンシュ語の二つの方言で同時に出版されるやいなや、ウルスリの絵本の人気に火がついた。「今や定番の絵本になった」と、71年から「ウルスリのすず」の出版権をもつオレル・フュースリ出版社のロニー・フォースターさんは話す。 絵本はこれまでに9カ国語に訳され、近々ペルシャ語の出版も控えている。英語版に関しては、素朴でのどかなスイスを感じられるおみやげを買いたい観光客がよく購入していくという。 また、日本では特に人気があり、73年の出版開始からこれまでに4万2千部が売られた。「この数字だけでは、ものすごい販売部数だと思えないかもしれない。しかし、日本の出版社によれば、これほどコンスタントに一定の売り上げを保っている絵本は他に無いという。これは興味深い」とフォースターさんは話す。 開催中の展覧会では「ウルスリのすず」や他の絵本に加え、7番目の作品で未出版の、野生の赤ちゃんヤギを描いた物語「Krickel(カモシカの角)」のスケッチも初めて展示される。これらの作品がカリジェの他の才能に影を落とす原因だった可能性はあるにしろ、カリジェが絵本作家としての活動から得られた喜びはとてつもなく大きなものだったといえる。 絵本作家としての活動を止めたあとも、子どもたちがウルスリの絵本を枕元に置いて寝ているという話を聞くと、うれしそうな顔を見せたカリジェ。 のちにカリジェは、こう書いている。「『街の灰色の道と家』に囲まれた子どもたちに、『山々にある光と輝きにあふれた幼少時代』を届けることが、私にとって重要だった」 カリジェとロマンシュ語 カリジェはロマンシュ語を母国語として育った。ロマンシュ語はラテン語が元になった言語で、特にグラウビュンデン地方で話されている。現在、ロマンシュ語で会話ができる人口は6万人といわれている。1938年よりロマンシュ語はスイスの四つ目の公用語に認められている。 カリジェがロマンシュ語を保護する取り組みに参加することはなかったが、ロマンシュ語の文化や、知識人たちとの交流があった、とロマンシュ語研究者のリコ・ヴァレーさんは言う。「カリジェの作品は時にロマンシュ語というものを想起させる。それはロマンシュ語を話す人たちのアイデンティティーや、他の人たちのロマンシュ語を話す人たちへの理解にも影響を与えた」 特に影響を与えたのは「ウルスリのすず」だが、カリジェは大人向けの本の挿絵も多く描いており、それらはカリジェとロマンシュ語文化を強く結びつけた。 カリジェにとってロマンシュ語とは、家族を想起させるものだった。「カリジェは『ウルスリのすず』をロマンシュ語の原文で読んだとき、自分の幼少時代と、過ごした素晴らしい時の数々を想ったと語った」(ヴァレーさん) もっと読む 名作「ウルスリのすず」出版70周年 芸術家カリジェに光をあてる
おすすめの記事 文化 アロイス・カリジェ展 このコンテンツが公開されたのは、 2015/07/28 スイス国立博物館では現在、「アロイス・カリジェ アート・グラフィックアート・ウルスリのすず」展が開催されている。開催期間は16年1月まで。 もっと読む アロイス・カリジェ展