砲撃された世界遺産の町、ドゥブロヴニク









セルビア軍が地中海の美しい町ドゥブロヴニクを爆撃し始めた1991年の晩秋、欧米諸国はやっとバルカン半島で何が起こっているのかを理解した。2千発の砲弾がこのユネスコの世界遺産の町に落とされた。
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フォトエディターとして、SWI swissinfo.chでの写真の編集利用と写真家とのコラボレーションを担当。機会があれば、カメラを持って記者に同行する。 チューリヒで写真家として訓練を受け、1989年からフォトジャーナリストとして活動。1990年にスイスの写真家エージェンシー、ルックアット・フォトスを設立。ワールド・プレス・アワードを2度受賞し、スイスの奨学金制度も利用。作品は広く展示され、様々なコレクションに収蔵されている。
1991年10月1日、ドゥブロヴニクでは電気、水道、電話線など、すべてのインフラが切断された。セルビア軍の軍艦がこの町へのアクセスをも遮断。最悪の戦闘が12月6日に始まった。600発の手りゅう弾が町に投げ込まれ、住民は逃げまどった。1992年の初め、セルビア軍もう一度激しい攻撃を行った。それはクロアチアの独立を阻止するためだった。(写真、トマス・ケルン)
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