スイス生まれのアロマット、南アフリカで独自の食文化に根付く
スイスではアイデンティティーをめぐる議論も巻き起こる国民的調味料「Aromat(アロマット)」。しかし南アフリカでは、70年以上にわたりさまざまな料理の味付けに使われ続けている。
炭火で焼かれた肉と、香ばしく焼かれたトウモロコシの香りが漂う。炭の煙は、ワシントン通りを走るミニバスタクシーが巻き上げる砂ぼこりと混ざり合う。ケープタウン最古のタウンシップ、ランガ地区は昼時だ。
レストラン「ジョーダン・ウェイズ・オブ・クッキング」では、アマピアノ音楽(南アフリカ発のダンスミュージック)の重低音が薄い壁を震わせている。鍋や包丁、おたまが並ぶ厨房には、黄色いプラスチック製の容器が置かれている。中身は1kgのアロマットだ。
「本来なら必要ないんです」と話すのは、料理長兼レストランオーナーのントラロ・ジョーダンさんだ。ドバイ、リベリア、スーダンの五つ星ホテルで料理人として働いたあと、長年の夢だった自分の店を開いた。新鮮なハーブを使った料理が得意で、マリネも自ら調合する。「でも、お客さんはアロマットがいいって。だから常備しています」
レストランの100mほど先には、トタン小屋を改装した軽食店がある。ここでは早朝からグリルが稼働し、ソーセージやハンバーガーを売っている。カウンターは格子で囲まれ、お金や商品の受け渡しをするための小さな開口部があるだけだ。
その中央、卵の箱の横に目立つように、アロマットの黄色いシェーカー容器黄色いシェーカー容器が置かれている。
ラベルには「オリジナル・シーズニング」と書かれている。しかし、アロマットのキャラクター「クノールリ」は見当たらない。代わりに小さな文字で、この製品が南アフリカで製造されていることが示されている。
故郷を象徴する黄色い容器
ここから北へ9000km離れた場所では、この黄色のシェーカー容器に入ったアロマットが政治的な話題となっている。3月末、アロマットの親会社である英ユニリーバは食品事業を分離し、アメリカの香辛料メーカー、マコーミックと合併する計画を発表した。これを受け、スイスではアイデンティティーをめぐる議論が巻き起こった。
メディアではアロマットを「スイスの国民的調味料」と呼び、「アメリカ人の手に渡してはならない」との声が上がった。「アロマットはスイスに属する」と題された請願書には、1週間でおよそ1万人分の署名が集まった。
アロマットは1952年、料理人のヴァルター・オブリストがレシピを考案した。シャフハウゼン州タイインゲンでは今でも年間3000tのアロマットが生産されている。請願書の発起人たちは、タイインゲンの従業員180人とオリジナルレシピの保護を求めている。
国民的調味料とはいえ、アロマットはこれまで一度もスイス企業の所有下にあったことはない。しかし多くのスイス人にとっては、チーズフォンデュやセルベラ(スイスの代表的ソーセージ)、マッターホルンと並ぶ、スイスのシンボル的存在だ。
アロマットはマギー調味料、塩、コショウとともに、何十年にもわたりスイスの食卓に並んできた。サラダドレッシングやスクランブルエッグに使われ、兵役時代の記憶や幼少期の味、故郷や安らぎの象徴として親しまれている。
しかし、アロマットが過去70年の間に、南アフリカで独自の地位を築いてきたということは、嘆願書に署名した人々の多くが知らないだろう。
食堂のテーブルから屋台料理へ
「卵1個が4ランド? この前までは3ランドだったのに!」
ケープタウンのミニバスターミナルにある小さな売店で、女性客が不満をあらわにする。売店に立つジブリル・メンゲシャさんは、物価上昇が理由だと説明してなだめようとする。女性はしぶしぶ小銭を手渡した。
女性はカウンターのガラス容器から卵を取り出し、殻をむくと、目の前に並んだ4本の黄色いシェーカーの1つからアロマットを振りかけた。
28歳のメンゲシャさんはケニア出身で、姉の店を切り盛りしている。競争相手は、卵のパックとアロマットの容器を手に売り歩く行商人たちだという。
メンゲシャさんは記者に、アロマットがスイス発祥だという話は聞いたことがないと語った。だが、南アフリカの客に人気があることは知っているという。この日の午前10時過ぎまでに、彼はすでに26個のゆで卵を販売していた。卵はソフトドリンクやさまざまな軽食と並び、この店の定番商品となっている。
客の多くは郊外のタウンシップから来る人々で、ミニバスタクシーで市中心部へ通勤する途中に立ち寄る。
タウンシップの料理文化に、アロマットは欠かせない。バーベキュー料理、トウモロコシ、パンをくり抜いてフライドポテトなどを詰めた「コタ」、ソーセージ、チャカラカ(野菜煮込み)、ソースなどの味付けに使われる。さらには南部アフリカ全域で主食となっているトウモロコシ粥「パップ」にも加えられる。
あらゆる階層に浸透
しかし、アロマットの存在をタウンシップだけに限定して語るのは、その真価を正しく評価しているとは言えない。アロマットはスイスで誕生した翌年の1953年には、すでに南アフリカへ渡っていた。現在では、多くの家庭に欠かせない調味料となり、社会のあらゆる階層に広がっている。
市中心部から東へ車で約30分のグラッシー・パークでは、元教師のステラ・ウリオンさんが台所に立っていた。ウリオンさんは鶏肉やラムチョップにアロマットを振りかける。
「でも、一番好きなのは」と、まるで家族の秘密を打ち明けるかのようにニヤリと笑いながらこう話した。「ポップコーンにかけることね」
ランガ地区の埃っぽい道と、彼女が暮らすグラッシー・パークは車で30分も離れていない。しかし、アパルトヘイト体制下の集団地域法が定めた境界線は、今なお影響を残している。しかしアロマットはその境界を越えていった。
ユニリーバ南アフリカのジュニア・ブランドマネージャーを務めるルワンディレ・ドゥバザネ氏はこう語る。「裕福なキャンプスベイでも、中流階級が住むサザン・サバーブでも、ランガ地区でも、この調味料は人気があります」
同氏によると、南アフリカでは推定で約半数の家庭がアロマットを台所に常備しているという。
南アフリカ流マーケティング
ドゥバザネ氏にとって、アロマットは特別な存在だ。「子どものころ、私たちは1990年代のテレビCMのキャッチフレーズを暗唱していました」
スイスでは食堂のテーブルに欠かせないアロマットが、南アフリカではストリートカルチャーの一部となっている。
南アフリカの広告には、「モゴドゥ・マンデーズ外部リンク」「セブン・カラーズ・サンデー外部リンク」「イチキン・ダスト外部リンク」といった、発祥地のスイスでは理解されない表現が登場する。ミニバスタクシーの中でアロマットを使う広告や、コタ祭りと結び付けた広告もある。
ドゥバザネ氏は、こうしたユーモアあふれるCMが南アフリカ文化の感覚に合っていると話す。「アロマットは南アフリカで自国の調味料のように感じられていますが、これはマーケティングチームが作り上げたものです」
同社はタウンシップでコメディー企画や地域イベントも開催している。「フライドポテトはアロマットなしでは味気ない」という表現は、今では日常語になっているという。
南アフリカ向けアロマットは、ダーバンにある面積2万2000㎡のインドンサ工場で生産されている。年間生産能力は6万5000〜10万tで、ユニリーバの乾燥食品工場としては世界最大を誇る。
南アフリカのユニリーバは、国内でどれだけのアロマットを生産しているかについては回答していない。ドゥバザネ氏も数字を明らかにできないという。しかし状況は明らかだ。人口6200万人の国を支える工場は、タイインゲンの工場よりはるかに大規模だ。
文化的継承か、それとも盗用か
これは文化の盗用なのだろうか。他国の製品を奪い、自分たちのものにしたということなのか。それとも植民地時代の消費文化の名残なのか。欧州の工業製品が、地域固有の調味文化を置き換えたということなのか。
「どちらでもあるのでしょう」。そう語るのは、ステレンボッシュ大学のマルセリン・オーステンドルプ准教授(言語学)だ。同氏は、南アフリカにおける言語、食、アイデンティティーの関係を研究する「Politics of the Belly」プロジェクトに携わっている。
オーステンドルプ氏は、アフリカの作家グギ・ワ・ジオンゴ氏とチヌア・アチェベ氏の間で交わされた、英語をめぐる有名な論争を引き合いに出す。
ジオンゴ氏は、植民地支配者の言語は自らのものではあり得ないとして、英語で執筆することをやめた。一方アチェベ氏は、自身が使う英語は新しいナイジェリア英語であり、植民地主義的な物語を覆すために使えると主張した。
「もちろん、この製品には植民地時代の痕跡があり、おそらく地元の料理の味付け方法に取って代わったのでしょう。しかし同時に、私たちはそれを自分たちのものとし、食文化の中に取り込んできたのです」(オーステンドルプ氏)
英語からの翻訳・校正:大野瑠衣子
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