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マルコス資産の凍結から40年 スイスの脱「隠し金庫」の契機に

フェルディナンド・マルコスの家族
フェルディナンド・マルコス大統領とその妻イメルダの富は伝説的だった。1972年にマニラで撮影されたこの家族写真には、フェルディナンド・ジュニア現大統領の姿も Keystone / AP

スイスは40年前、民衆蜂起によって追放されたフィリピンのフェルディナンド・マルコス大統領がスイスの銀行に預けていた資産を凍結した。スイスとその銀行にとって、外国の独裁者の資産との向き合い方を変える大きな契機となった。

1986年3月24日月曜日、ベルンでは何気ない1日が始まった。前週にスイス連邦議会の春季会期が終わり、議員の姿も少ない。唯一にぎわっていたのは連邦議事堂とベ​​ルン市庁舎で、フィンランドのマウロ・コイヴィスト大統領に対する政府の歓迎レセプションと国賓晩餐会の準備に追われていた。

同じとき、スイス信用銀行(SKA、旧クレディ・スイスの前身)の最高法務責任者(CLO)は極秘・緊急の電話をかけていた。相手はスイスの銀行を監督する連邦銀行委員会だ。

CLOは電話で、ハワイに逃亡中のフェルディナンド・マルコス(現フェルディナンド・マルコス・ジュニア大統領の父)が、仲介者を通じてSKAから多額の資金を引き出そうとしていると警告した。連邦当局が動かなければ、次の日にはマルコスの名義貸し口座に送金されるだろう、と。

マルコスの隠し財産

この電話の3日前、連邦銀行委員会は「マルコス一家に属する資産の預け入れ・引き出しは、厳格なデューデリジェンス(資産査定)の対象となる」というプレスリリースを出していた。ハワイに逃亡したマルコスは20年間の在任中に数十億ドルを海外に送金し、その大部分はスイスの銀行に送金されたという米国の報道外部リンクを受けたものだった。

銀行委員会はデューデリジェンス強化により、銀行秘密を笠に着た違法送金を阻止しようとした。名義貸し口座を使った送金の多くには弁護士が関与していた。専門家としての特権を利用し、資金の真の受益者の身元を隠蔽した。この抜け穴が塞がれたのは、ようやく1991年になってのことだった。

銀行が有力者と取引する際のデューデリジェンス義務は、マネーロンダリング(資金洗浄)規制の一環として段階的に拡大された。

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1986年3月24日午後。SKAの電話を受けた銀行委員会副委員長が連邦外務省に伝えたことで、連邦議事堂は一気に慌ただしくなった。外務省はすでにフィンランド大統領を迎える準備で手一杯だった。外務省のエドゥアール・ブルンナー長官と経済省のコルネリオ・ソマルーガ長官は、知恵を絞った。

マルコス資金の引き出しは阻止されなければならない――2人の事務方トップはこの点で一致した。そして、事態は行政府トップの連邦内閣マターである、という点も。連邦内閣は連邦憲法の定める「緊急事態」を根拠に、国の外交政策上の利益を守るために行動を起こすべきであると理論づけた。定例閣議の開催は、フィンランド大統領という国賓訪問を目前に選択肢から外れた。

そこで、ブルンナーの機動力が発揮された。ブルンナーの妻の助けを借り、ソマルーガは国賓晩餐会の前に歓迎レセプションを引き延ばした。その間にブルンナーは連邦閣僚7人全員を集め、マルコス資産の凍結の必要性を説得することができた。5分後、7人は立ったまま大統領令を可決し、問題は決着した。経済相クルト・フグラーは2人の長官に「君たちにしてやられたな」と冗談を飛ばした。

フィリピンへの資金返還

スイスによる凍結後、フィリピン政府はマルコス資産を巡って長年にわたる法廷闘争を繰り広げた。マルコス一家だけでなく、資産の大半を保有していたSKAとスイス銀行協会は、その過程で多数の上訴を申し立てた。

スイス側が凍結口座に関する書類をフィリピンに公開したのは、1991年になってのことだった。相互法的支援手続きを主導した捜査判事が1995年8月、凍結資金をフィリピンの銀行の封鎖預金口座に送金するよう命じ、世間を驚かせた。1997年末、連邦裁判所はフィリピンへの資金の早期払い出しを認める画期的な判決を下した。同時に、フィリピンは人権侵害の被害者への賠償についてスイスに報告する義務を負った。1998年6月、6億8300万ドルがマニラに送金された。スイスは2009年初頭、最後の返還として約1000万ドルをフィリピンに送金した。

その6年前、イラン革命で追放されたムハンマド・レザー・パーレビ第2代国王の資産凍結要求に対しては、スイス連邦内閣は全会一致で反対し、イランに通常の司法手続きに則るよう求めた。その結論を率いたのが当時まだ司法相だったフルグラーだっただけに、マルコス資産について連邦内閣が方針転換したことは驚きを与えた。ドイツ語圏の大手紙NZZは、マルコス資産の凍結を「緊急ブレーキ」「奇襲」と報じた。「連邦内閣の前のめりな行動は明らかに不均衡で、金融セクターの法的安定性を危険にさらす」

スイスの銀行は猛烈に抗議記した。チューリヒのプライベートバンク、ロイ銀行(後にクレディ・スイスに合流)は連邦内閣に宛てた書簡で、この決定は理解しがたいと訴えた。法的問題が政治決定へと仕立て上げられ、「我が国の法制度の確実性への信頼を損いかねない」と指摘した。スイス銀行協会はマルコス事件における当局の行動に反対を表明する鑑定書を発表した。

靴でいっぱいの部屋
マルコス大統領のイメルダ夫人が所有した数千足もの靴は世界最大規模の靴コレクションとされ、貪欲の象徴となった Keystone / AP

中央銀行からも批判

マルコス資産の凍結措置は、スイス国立銀行(SNB、中央銀行)からも冷たくあしらわれた。イラン資産への対応とは異なり、SNBは連邦政府から事前に相談を受けていなかった。SNBのマルクス・ルッサー副総裁は、この作戦全体が準備不足であったと批判した。そしてマルコスのスイス口座の詳細を記した文書がアメリカに流出したとし、スイスの銀行が米政界でマルコスのスケープゴートにされていると指摘した。

1986年4月3日に開催されたSNB理事会で、ルッサーは驚くべき提案を行った。在任中の有力者の資産については、SNBと連邦銀行委員会が共同で受け入れを拒否すべきかどうかを銀行に勧告する、というものだ。

連邦内閣は後になって、独裁者の資金をめぐる方針転換を矮小化しようとした。1986年9月、右派・国民党(SVP/UDC)からの質問主意書に対し、マルコス資産の凍結は「実務上の根本的な変化を意味するものではない」と回答した。むしろ「極めて異例な状況」によって決まったものであり、銀行秘密主義には何ら影響はない、と主張した。

こうした努力もむなしく、マルコス事件は長く尾を引いた。スイス当局は後に、この方針転換は意図的な決定であり、独裁者の資産返還におけるスイスの先駆的な役割を担ったと総括外部リンクした。一方、外交官のパスカル・ベリスヴィルは2016年、地域紙のインタビュー外部リンクでスイスは「全く思いがけない形で」方針転換を果たし、「必要に迫られて徳を積んだ」と振り返った。

期待外れの新法

マルコス事件以来、スイスは独裁者の資金の隠し先という悪評を払拭しようと努めてきた。その成果はまちまちだ。それ以来、20億ドル以上が返済されたのは事実だが、スイス連邦会計検査院が2021年に発表した報告書は、スイスが性急な約束をしがちだと批判した。いくつかのケースでは、資金が返還先の国民の利益となるためには、送還方法が特に大きな課題となることが明らかになった。

例えば1986年に失脚したハイチの独裁者ジャン・クロード・デュバリエの場合、没収された1000万ドルは未だに使い道が見つかっていない。2011年「アラブの春」においては緊急立法で複数の凍結措置を講じた後、連邦内閣・議会は独裁者の資産を凍結・本国送還するための根拠法を制定した。この新法外部リンクは2016年に施行されたが、現在までに目立った成果を上げていない。訴訟手続きはまだ係属中だ。2014年に失脚したウクライナのヴィクトル・ヤヌコヴィチ大統領の凍結資産1億3000万フランをめぐる訴訟は今も続いている。

編集:Benjamin von Wyl、独語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫

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