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アンリ・デュナンの足跡を辿って

トーチを掲げて行進した何千人もの人々が赤十字創設の思想を振り返った swissinfo.ch

北イタリアの古戦場ソルフェリーノで、赤十字創設の思想を記念するために約1万3000人がトーチを掲げて行進した。

6月27日夜、世界中からやってきた赤十字・赤新月社のボランティアがトーチを手に集まった。赤と白の服を身につけた参加者は、150年前にソルフェリーノの戦場から負傷兵を運んだ救護者の足跡を辿った。

ソルフェリーノの思い出

 ジュネーブの実業家アンリ・デュナンを触発し、世界最大の人道援助運動を立ち上げさせたソルフェリーノの戦いから150年がたった。1週間の間、この歴史ある場所で記念行事が続いたが、ハイライトは参加者がトーチを掲げた行進「フィアコラータ ( fiaccolata ) 」だ。
「アンリ・デュナンは、たった1人の人間が大きな違いを生み出すことができるという例です」
 と全長8キロメートルの行進が始まる前に、スイスが運営する「赤十字国際委員会 ( ICRC ) 」 の会長ヤコブ・ケレンバーガー氏が、ソルフェリーノにあるカステロ広場で参加者を前に語った。

 1859年6月24日、フランス・サルディニア連合軍とオーストリア軍の合計約30万人の兵士が、ソルフェリーノ近くの15キロメートルにわたる前線で衝突した。イタリア統一をかけたこの戦いは、ワーテルローの戦い以来、大量の死者を出したヨーロッパ最悪の戦争となった。10時間におよぶ砲撃戦、騎兵戦、そして激しい白兵戦の結果、約4万人の死傷者が出た。

 「恐ろしい大惨事でした。軍部による諜報活動が無かったため、両軍とも敵・味方の位置や戦略的な意図を把握しておらず、大混乱の激しい接近戦になりました」
 と赤十字国際委員会の歴史家フランソワ・ブニョン氏は語った。ソルフェリーノの戦いとその結末を目撃したデュナンは、充分な医療が得られない惨状に衝撃を受け、近くの町カスティリオーネ・デレ・スティヴィエレで負傷兵を介護した。

 デュナンはこの体験を、自身の象徴となった回想録『ソルフェリーノの思い出』に記し、これが赤十字創設の契機となった。

記憶への再訪

 500人以上の負傷兵を保護したカスティリオーネ・デレ・スティヴィエレのマジョーレ教会で、6月27日の朝赤十字国際委員会の職員がデュナンの回想録の一説を朗読した。
「25日に太陽が登った時、想像もできないような恐ろしい光景が現れた。戦場は倒れた兵士と馬で覆われ、道、溝、谷、雑木林、野原のあちこちに遺体が散乱していた。ソルフェリーノへ続く道には文字通り死体が積み上げられていた」
 と赤十字国際委員会の代表アンジェラ・グッシング氏が朗読した。

 負傷兵の多くは、倒れた場所で放置されたままになっていた。医療の深刻な不足で手当はなおざりにされていた。デュナンは地元の女性を指揮して食物と水を運び、死にかけている兵士の傷を洗った。
「私が敵味方の区別をしなかった様子を見た女性たちは、さまざまな国から来た異国の兵士すべてに対して優しさを平等に示した」
 とデュナンは書いている。

尊厳のある死

 赤十字国際委員会の主任戦場外科医マルコ・バルダン氏によると、デュナンと女性たちはおそらく生き残ることができる兵士と、尊厳をもって死を迎える兵士をより分けていたにすぎない。
「( 足に大けがをしても ) 生き残る可能性を持っていた者たちは、簡単なナイフやのこぎりで足を切断されました。しかしその当時は、麻酔も抗生物質も無かったため、本当にひどい状態でした」
 とバルダン氏は説明する。

 デュナンは負傷兵の包帯を取り換え、着替え、食糧、たばこなどの買い出しに自分の御者を送りだした。
「しかし重要だったのは、カスティリオーネにおけるデュナン個人の役割ではなく、この経験から導き出した2つの思想、つまり赤十字創設の起源となったボランティアによる救援組織、そしてジュネーブ条約の基となった戦場における医療スタッフの保護条約と言えるでしょう」
 とブニョン氏は語った。

ボランティアによる運動

 赤十字国際委員会、「国際赤十字・赤新月社連盟 ( IFRC ) 」、各国の赤十字・赤新月社という3つの人道機関による「国際赤十字・赤新月運動 ( The International Red Cross and Red Crescent Movement ) 」の誕生から150年がたった。世界186カ以上の国々と地域で働く職員とボランティアの総数は1億人以上を誇り、平時、紛争時、被災時の救護を行っている。

 今回の行進は、ソルフェリーノの戦いの150周年記念行事の頂点だった。行進に参加した若者の多くが、6月23日から28日までの間にソルフェリーノで開催された「第3回赤十字・赤新月社青年会議」に出席している。リベリアの赤十字社から参加したジェシー・カラ氏は、堂々とろうそくに点火し、記念行事と運動に参加できる喜びを語った。
「これは助けを必要とする人々に対して誰もが任意でできる最高の活動です」

サイモン・ブラッドレー、ソルフェリーノにて、swissinfo.ch
( 英語からの翻訳、 笠原浩美 )

1859年6月24日、フランス・サルディニア連合軍とオーストリア軍の合計約30万人の兵士が、北イタリアのガルダ湖の南の15キロメートルにわたる戦線で向かい合った。砲撃戦、騎馬戦、白兵戦によっておよそ4万人の兵士が死傷した。
ソルフェリーノの戦いは、フランスのナポレオン3世とオーストリアのフランツ・ヨセフ皇帝というヨーロッパの君主と皇帝が指揮した最後の大規模な戦争。オーストリアの敗北は、イタリアが近代国家として確立するための大きな一歩となった。
医療人員の不足が深刻だったため、負傷兵の多くは倒れた場所に放置されたままになった。仕事の途中で偶然ソルフェリーノを通りかかったスイス人の実業家アンリ・デュナンは、戦場と医療救助現場の惨状を目撃し衝撃を受けた。デュナンは近くの町カスティリオーネ・デレ・スティヴィエレで負傷兵の救護に当たった。
この衝撃はデュナンの人生を変えた。ジュネーブに戻った後、ソルフェリーノでの体験を自身の象徴となった『ソルフェリーノの思い出』につづり、これが赤十字社とジュネーブ条約の誕生の契機となった。

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