「聖ピオ十世会」 教皇の警告を無視して破門された会派がバチカンと対決する理由
スイスに本部を置くカトリック保守会派「聖ピオ十世会」は、長年にわたりバチカンの現代化路線に抵抗してきた。教皇の許可なく司教を叙階(任命)して破門され、世界の注目を集めた会派の背景をまとめた。
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聖ピオ十世会とは
聖ピオ十世会を設立したのは、1905年に工場主の息子として生まれたフランス人大司教マルセル・ルフェーブル氏(1991年没)だ。1960年代の第2バチカン公会議で示された改革路線について、同氏は現代的過ぎるとして受け入れず、抵抗する保守派の中心人物となった。
1970年、同氏は聖ピオ十世会を設立した。名称は1910年頃に教会の現代化と闘った教皇ピオ10世に由来している。この会派には、反動的な聖職者や一般信徒が集まった。
ルフェーブル氏とローマ教皇庁(バチカン)との対立は、表面的にはミサの形式をめぐるものだった。同氏はローマ・カトリックの儀式を「まがい物の司祭」が執り行う「まがい物のミサ」だと言い、トリエント公会議(16世紀に宗教改革に対抗して開かれた公会議)の壮麗な儀式を堅持した。第2バチカン公会議以降、カトリックのミサは各国言語で、司祭が会衆に顔を向ける形で行われるようになったが、聖ピオ十世会のミサでは、従来通りにラテン語が使われ、司祭は会衆に背を向けて司式をする。
聖ピオ十世会の信仰内容
対立の背後には、当初からミサの形式にとどまらない問題が潜んでいた。この会派に集まったのが、超伝統主義的なカトリック信仰の持ち主だったからだ。
聖ピオ十世会は聖母マリアを特別に敬っており、教会の母とも見なしている。彼らは、このようにカトリック教会を理解している自分たちこそが、唯一の真の教会を守っていると考えている。
したがって、この教会の外にいる人々は背教者であり、改宗させなければならないと結論付けている。神が国家や社会を支配すべきだとも主張しており、あらゆるジェンダー同権を否定し、同性愛に悪の烙印を押す。
カトリック教会との違い
第2バチカン公会議で起きた変化の1つに、他の宗教にも真理はあり、全ての人に宗教を自由に選ぶ権利があると教会が認めた点がある。だが、ルフェーブル氏はこれを受け入れなかった。
同氏は教会一致、つまり様々なキリスト教派が互いに歩み寄ることや、キリスト教以外の宗教と対話することも非難した。「プロテスタントが天国に行くことはできない」と述べている。
聖ピオ十世会はさらに、カトリック教会の最も重要な改革である、あらゆる形の反ユダヤ主義を非難することを拒否している。逆に、全てのユダヤ人は今日もなおイエス・キリスト殺害の共犯者だと考えている。
スイスとの関係
1962〜1965年の第2バチカン公会議から間もなく、保守的抵抗の先頭に立ったルフェーブル氏は、フランスの教会関係者の中で孤立していった。1969年、スイス西部フリブールに転居。橋渡しをしたのは、以前から親交のあった当時のフリブール司教だった。
ルフェーブル氏を慕う神学生もフランスからフリブール大学へ移ったが、この大学の講義は彼らにとってあまりにも現代的だった。ルフェーブル氏が活動をエスカレートさせるとバチカンが介入したため、同氏はローマの影響が及ばない場所で神学校を設立すると決意した。やがてヴァレー(ヴァリス)州西部エコーヌに適地を見つけ、聖ピオ十世会を設立する。
現在、スイス国内にある聖ピオ十世会の拠点は30を超える。ヴァレー州エコーヌは精神的な中心地だが、本部はツーク州の城に置かれ、この城にダヴィデ・パリャラーニ総長が住む。ドイツ語圏の日刊紙NZZは、同氏を「対立教皇(選ばれた教皇に対抗して教皇位を主張する者)」と呼ぶ。
聖ピオ十世会の規模
同会やバチカンの最新の数字は20年ほど前のもので、規模については推測の域を出ない。信者、つまり定期的なミサの参加者は世界で60万人と言われることが多いが、カトリック系ニュースサイト「ザ・ピラー外部リンク」の記事でも示されているように、正確ではない可能性がある。
ザ・ピラーの記事は、信者数を32万人と推定し、規模の指標として唯一信頼できるのは教会の数だとしている。聖ピオ十世会の発表によると、教会は世界の約450カ所にあり、司祭は約750人だ。
対立の経緯
1976年になると、ルフェーブル氏の活動はバチカンにとって看過できないものになった。権限がないにもかかわらず司祭を叙階したためだ。バチカンはさらに、同氏が公会議の決議を拒否したことによって教会の一致が損なわれたと判断した。教皇はルフェーブル氏の職務を一時的に全て停止し、その後和解に向けた努力が続けられたが、成果は上がらなかった。
1988年にも、ルフェーブル氏がバチカンの意に反して4人の司祭を司教に叙階し、対立がエスカレートした。バチカンは直ちに、叙階された4人とともに同氏を破門。ところが2009年になると、新たな歩み寄りの一環として、教皇ベネディクト16世が破門を解消した。
今年の7月1日、聖ピオ十世会が教皇の反対を押し切って4人の司教を叙階し、対立が再燃した。教皇レオ14世は、「キリストの縫い目のない衣を引き裂くことは極めて重大な罪だ」と、教会の一致が表現された聖書の比喩を用いて警告を発したが、聖ピオ十世会はこれを無視した。エコーヌで華やかな司教叙階式が行われ、その結果、バチカンは同会の全ての構成員を破門している。
これはシスマなのか
シスマとは、「教会の分裂」を意味する。だがバチカンは、教会は分裂していないという認識に重きを置く。スイス中部ルツェルン出身のクルト・コッホ枢機卿は、国際カトリック誌「コムニオ」のインタビューで、「これをシスマと言えるのか、私にはあまり確信がない。教皇ヨハネ・パウロ2世は、1988年にも『シスマ的行為』という言葉を使った。シスマとシスマ的行為は必ずしも同一ではない。シスマ的行為の影響が及ぶのは、その行為を行った者なのだから」と述べた。
聖ピオ十世会に詳しいスイスの神学者ウルバン・フィンク氏は、スイスインフォの取材に対し、聖ピオ十世会は分裂した集団だと話した。「彼らはケーキからひと切れを切り離している。典型的なセクトだ」
聖ピオ十世会がバチカンに対してどれほど断固として敵対的に近い態度を取っているのか、それはエコーヌで叙階された司教の1人、マイケル・ゴルダーディー氏のスピーチ外部リンクに表れている。同氏は、ローマ・カトリック教会は「瓦礫」の中にあり、「砂漠」であり、「病気」であって、「触れるもの全てを殺す」と述べた。
エコーヌで開催された叙階式の狙い
聖ピオ十世会の説明によると、司教叙階の背景には人手不足がある。世界中の信者を受け持つには、2人の司教では足りないという。フィンク氏も「生き残れるかどうかの問題だ。彼らは会を存続させるために司教を必要としている」と言う。
フィンク氏は、叙階式には別の狙いもあると見ている。抵抗を前面に出す行為によって、広く及ぼすことができる効果だ。「このような大きな行事はコマーシャルにもなる」と、同氏は言う。禁じられた司教叙階という演出の背後に成長戦略があるとし、「極めて不安定な世界では、聖ピオ十世会が満たしうる憧れや願望を持つ人々が一部に存在する」と述べた。
アメリカで信者は増えるのか
アメリカでは、キリスト教徒の2割がカトリックだ。聖ピオ十世会はアメリカで既に定着しているが、規模は比較的小さい。推定外部リンクでは2万5000人と、最多の信者を抱えるフランスと同程度だ。ゴルダーディー氏の叙階によって、アメリカの信者は初めて自国の司教を得ることになった。
ゴルダーディー氏は、反動的な路線によって「教区や学校における大きな発展」が可能になると確信している。エコーヌの式典外部リンクで、「我々は数多くの新たな召命を、聖にして母なる教会のために身を捧げようとする大勢の若者を目にすることになるだろう」と語った。
アメリカでは実際に、保守的なカトリック信仰が改めて注目されており、2023年以降、カトリック教会への改宗者が増えている。ザンクト・ガレン大学のクラウディア・フランツィスカ・ブリュフヴィラー教授(アメリカ研究)は、スイスインフォの取材に対し、「特に若い男性が魅力を感じており、彼らは意識的に保守的なものを探している」と述べた。
注目される理由は、世界最古の「機関」であるカトリック教会が、常に時代の錯誤や混乱に耐えてきた点にある。ブリュフヴィラー氏は、「全てに疑問が突きつけられる大変革の時代にあって、時代に迎合しないこの不変なものには、何らかの魅力があり、指針を与えるところがある」と説明する。
だが同氏は、同じ理由でアメリカが聖ピオ十世会の成長を促す土壌になるとは考えていない。「アメリカでは、保守主義者だからといってカトリック教会と対立する道を選ぶ必要はない。保守派の選択肢は非常に多く存在している。例えば、ラテン語のミサが再び広く行われるようになっており、その際立った厳粛さのために、特にプロテスタントとして育った信者の共感を得ている」
編集:Samuel Jaberg、独語からの翻訳:鵜田良江、校正:宇田薫
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