おすすめの記事 農業 このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/19 スイスの農地の4分の3は草地と牧場で占められている。穀物と野菜の栽培は低地で行うのみ。作物の生産に携わっている農家は全体の3分の1。スイスの農業についての情報は連邦経済省農業局(BLW/OFAG)のサイト(英/独/仏/伊… もっと読む 農業
おすすめの記事 労働市場の裏側 このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/19 スイスの雇用状況は非常に安定している。世界的な経済危機が発生しても、スイス経済に壊滅的な影響を与えることはほとんどない。 もっと読む 労働市場の裏側
おすすめの記事 「セルベラ」、この愛すべきスイスのソーセージ に敬意を表す このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/15 スイスの名物ソーセージ「セルベラ」。それは、大人から子どもまでスイス国民なら誰もが愛する食べ物だ。ちょうど建国記念日の8月1日、このソーセージに「敬意を表する」写真集が出版された。 フランス語圏であろうとドイツ語圏であろ… もっと読む 「セルベラ」、この愛すべきスイスのソーセージ に敬意を表す
おすすめの記事 市民の政治参加を促す方法 このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/14 「市民教育―生きた民主主義の保証」。ジュネーブで開催される在外スイス人協会外部リンク総会がこの標語を掲げているのは、単なる偶然ではない。 国民投票の伝統を誇る国で、しかも連邦議会選挙をわずか9週間後に控えている今、こ… もっと読む 市民の政治参加を促す方法
おすすめの記事 「太陽が落ちた日」、広島と福島をつなぐ反核を人の生き方で描く このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/13 ロカルノ映画祭のドキュメンタリー部門にノミネートされた「太陽が落ちた日」は、原爆投下時に広島赤十字病院の医師だった監督の祖父を映画製作の出発点にしながら、当時の看護婦や肥田舜太郎医師の「原爆のその後を生き抜く姿」を丁寧に紡いだ作品だ。チューリヒ在住のドメーニグ綾監督(42)は、「娘やその孫のために作った。私の家族の歴史であり、同時に反核を含む私の世界観が凝縮している作品」と語る。広島と福島をつなぐ重いテーマでありながら、登場人物がユーモラスに生き生きと描かれている。 もっと読む 「太陽が落ちた日」、広島と福島をつなぐ反核を人の生き方で描く
おすすめの記事 スイスの食卓に昆虫が登場する日は近い? このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/12 トレンディなチューリヒ5区にある鉄道高架下の新しいショッピングセンター。そこにある社会福祉関連の企業家向け共同作業所で座っているのは、クリスティアン・ベルチュさんだ。ここでスイスの食卓の未来が作られているとは感じられな… もっと読む スイスの食卓に昆虫が登場する日は近い?
おすすめの記事 薄れるスイスの魅力 移民規制案の影響か? このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/10 大手銀行クレディ・スイスとUBSが毎年行っているリサーチによると、外国企業にとってスイス国内で最も魅力的な立地はツーク州だ。他を引き離し同州が首位に立った理由には、魅力的な税制、高度人材の確保のしやすさ、交通の便の良さ… もっと読む 薄れるスイスの魅力 移民規制案の影響か?
おすすめの記事 ただの宣伝ではなかった観光ポスター このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/08 中央スイスの観光が本格的に始まってから、今年で200周年を迎える。これを記念し、ルツェルンのポスター・フェスティバル「ヴェルトフォーマット」では、観光ポスターに的を絞った作品が展示されている。スイス人デザイナーが手がけたポスター作品の数々を、スイス交通博物館でみることができる。 スイスにおけるポスターの歴史は、観光ポスターから始まった。既に前世紀に芸術とみなされていた観光ポスターは感情に訴えかける存在でもあり、今日までその輝きを失わずにいる。展示会場には交通手段をモチーフに、洗練されたデザインの作品が並ぶ。登山鉄道、船、バスなどの交通手段が、マス・ツーリズムを可能にした。 スイス交通博物館とルツェルン応用科学芸術大学が共同で取り組んだこのポスター展では、合計で36枚のポスターが展示されている。それらのデザインは時代を反映しているものの、スイスの観光ポスターの伝統は失われていないのが特徴的だ。 (写真・PHOTOPRESS、スイス交通博物館) もっと読む ただの宣伝ではなかった観光ポスター
おすすめの記事 科学を祖国のために役立てたパイオニア このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/07 スイス自然科学アカデミー(SCNAT)は1815年より、科学と社会の架け橋となってきた。200年の伝統を誇る同アカデミーの歴史は、奇妙な岩から始まった。 ローザンヌ・ジュネーブ間の高速道路を走る車は、ニヨンの出口を過ぎてすぐのカーブで減速しなければならない。このカーブは、道路脇の木々の下に何気なく横たわる800立方メートルの巨石を迂回するためのものだ。 「ピエール・フェリン(猫の石)」という名で知られているこの岩には、確かにこの場所に居座る権利がある。古代の氷河に取り残されて以来、1万5千〜2万年もそこにあるのだから。似たような岩はスイス高原のあちこちに散らばっており、妙な場所にぽつんとあるところから、「迷子石」と呼ばれている。 迷子石は200年前、当時の科学者たちにとって大きな謎だった。石の地質学的性質が周囲の地域のものと合致しないため、ノアの大洪水で流されてきたと考える人も多かった。正解を出したのは、スイスの科学者ルイ・アガシーだった。アガシーが1837年にヌーシャテルで開かれたSCNAT(当時の名称はスイス自然科学会)の会合で唱えた説は大論争を呼んだ。 当時のSCNAT会長だったアガシーは、これらの巨石は地球が今よりずっと寒かった「氷河期」に、地域一帯をゆっくりと動いていた巨大な氷に乗って運ばれてきたと主張した。地球がそのような巨大な規模で動く、常に変化する存在だという考えは当時、比較的新しかった。 「迷子石の起源については1810〜40年頃に議論されていた。アルプスのさまざまな地域で、科学者もそうでない人も観察を行っていた」と、ローザンヌ大学のエマニュエル・レイナール教授(自然地理学)は話す。 「アガシーは1837年の講演で有名になった。そして、昔は氷河がもっとずっと大きかったとする説は、世界の科学界にあっという間に広まった」 SCNATがアガシーの考えを公に発表する場となったことで、気候学、気象学、地質学が大きく発展し、氷河学という新しい科学分野が生まれる一助ともなった。 「迷子石が散在する現象は、我々の時代が始まる前の地球の気温低下による大変化に伴って生じたとしか考えられない」M.L.アガシー 祖国のための科学 SCNATは当時の他の科学団体と違い、エリート科学者だけの団体ではなかった。共同設立者の薬剤師アンリ・アルベール・ゴスと博物学者・神学者のヤコブ・ザムエル・ヴィッテンバッハはむしろ、スイスの人々、ひいては世界中の人々に自然科学の扉を開きたいと望んでいた。 「SCNATの目的は、設立者たちが『patrie(祖国)』と呼んだものに科学を役立てることだった」と話すのは、同アカデミー会長のティエリー・クールヴォワジエ氏だ。同氏は、SCNATやその他の工学、医学、人文学の学術団体が加盟するスイス科学アカデミーの会長も務める。 「アガシー時代のSCNATと、現代のSCNATは似た目標を掲げていた。それは政治の世界に科学を広めるというものだ。当時、フランス語の『patrie』という言葉は、今の時代の『社会』と同じような意味合いを持っていた」 クールヴォワジエ氏は、SCNATの主な使命は、国の政策決定プロセスに科学知識を組み込むことだと説明する。そのため、「同会は機会のあるごとに、議会に科学知識を伝えている」(クールヴォワジエ氏)。 SCNATが19世紀に設立したいくつかの委員会は、後にスイス政府の一部となった。スイス気象台(メテオ・スイス)、連邦地理局、スイス国立公園およびスイス連邦科学基金は全て、SCNATから派生したものだ。 岩を救え 迷子石が科学的に重要な遺物だということが広く受け入れられるようになるにつれ、その文化的、審美的な価値も認められるようになった。スイス人教授のアルフォンス・ファーブルとベルンハルト・シュトゥーダーは1867年、国内の迷子石が建設資材として使われないよう保護しようと考えた。当時、このような目的が実現できるほどの科学的根拠はなかったので、彼らは「patrie(祖国)」という概念を用いることにした。 この二人はSCNATの支援のもと、迷子石の保護をスイスだけでなくドイツやフランスでも呼びかけた。この作戦は成功し、スイスの各州政府は自然風景を守ろうという思いから、協力して迷子石のリストを作成した。その結果、多くは地方自治体や科学団体の保護下に置かれることになった。 1908年には、スイス最大の迷子石であるヴァレー州の「ピエール・デ・マルメット」が建設資材として使われることを防ぐため、当時としては高額の3万1500フラン(約402万円)で買い取られた。この岩は今日、SCNATが所有し、スイスで最も有名な自然遺産の一つとなっている。 小さな国、大きな影響力 SCNATはスイスが持つこの国ならではの特徴のおかげで、初期の国際的研究における中心的存在となった。 「SCNATの初期メンバーたちは世界中の仲間と緊密に連絡を取り合っており、たびたびジュネーブで意見交換を行った」とクールヴォワジエ氏は言う。 「彼らはいくつものテーマでリーダー的存在となった。理由の一部はジュネーブの地形にある。山に登れば、数千メートルまで大気の数値を測ることができた。他の場所ではこれは不可能だった。このおかげで、SCNATは大気物理学と地質学の中心となった」 SCNATは19世紀後半にスイス政府の資金援助を得て、国内88カ所のボランティアベースの気象観測網を構築した。研究の範囲を国外にも拡大するため、度量衡の統一にも尽力した。現在は欧州科学アカデミー諮問委員会のメンバーも務める。 クールヴォワジエ氏は、スイスの国土の小ささが、世界規模の科学においては強みになると話す。 「スイスは国際的な方向へ目が向いている。小さな国なので、国境の枠を超えて物事を理解しようとする姿勢がある」 SCNATのネットワークには今日、130以上の団体から3万5千人以上の専門家がスイス全国から参加している。 「これからのSCNATの役割は、宇宙物理学者などの自然科学者から、(政治家など)私たちの生活環境を決定する人々へと、知識を伝えることである」と、6月に開催されたSCNATの公式200周年記念祭での演説でクールヴォワジエ氏は述べた。 また、温暖化問題など地球全体に関わる問題は、世界が一丸となって取り組む必要がある、と同氏は続ける。「SCNATを含む多くの学会が、『全ての人に優しい地球』を目指すこの世界的な試みに貢献する準備ができている」 200周年記念 スイス自然科学アカデミー(SCNAT)の設立200周年を記念して、今年1年、さまざまなイベントが予定されている。その一つが、6月から10月までスイス国内12カ所を巡回する「リサーチ・ライブ」ツアー。どの会場でも「時間と変化」をテーマとした三つのインスタレーションが展示され、過去、現在、未来の科学者が直面してきた(または直面する)重要な問題の数々を紹介する。SCNATはまた、スイス全国で楽しめる500以上の科学的なアクティビティーや、小旅行を掲載した「ScienceGuide」というアプリケーションも公開している。 もっと読む 科学を祖国のために役立てたパイオニア
おすすめの記事 産業 このコンテンツが公開されたのは、 2015/08/05 2010年国際通貨基金(IMF)はスイス経済を世界第19位にランクした。スイスの同年の国内総生産(GDP)は約4870億4800万フラン(約44兆2000億円)。 国民1人当たりのGDPではスイスは6万8600フラン(約… もっと読む 産業