アナ・ヴァス監督「Hanabi」-福島原発事故の記憶を紡ぐ映像詩
ブラジル人監督アナ・ヴァス氏制作の福島原発事故を題材にした作品が、第79回ロカルノ国際映画祭で審査員特別賞(スペシャル・メンション)を受賞した。ヴァス氏はスイスインフォの取材に対し、映画は観客をあえて立ち止まらせ、物事の見方を問い直し、災害を「当たり前のこと」として受け入れさせる社会の仕組みに立ち向かうべきだと語った。
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ヴァス氏は自身の作品を「実験的」と呼ぶことに抵抗がある。代わりに、より包括的な「シネマ・ポエトリー(映画詩・映像詩)」という言葉を好む。時代遅れの形式主義に縛られているとヴァス氏が感じている、「実験映画」というレッテルを貼ることなく、作品の持つ反体制的な側面が認められるからだ。
「それでも、形式や物語への挑戦が不可欠なのは明らか。さもなければ映画は息が詰まって死んでしまう」。最新作「Hanabi」のワールドプレミア上映会で、ヴァス氏はスイスインフォにそう語った。同作は今年、ロカルノ国際映画祭の新鋭監督コンペティション部門で審査員特別賞(スペシャル・メンション)を授与された。ヴァス氏は、「『彼女は実験的』と評されると、まるで『彼女はクレイジー』と言われているように感じる」と話す。
構想・撮影に10年をかけた「Hanabi」は、2011年に日本の複数地域に甚大な被害をもたらした東日本大震災の爪痕を主題にしている。
映画は東京を舞台に始まり、小さな島々、そしてブラジルへと移り再び東京に戻る。広範な地域を網羅しながらも、ヴァス氏が主に焦点を当てているのは、地震後に原発事故が起きた現場、福島だ。アーカイブ映像と自ら撮影した映像を織り交ぜながら、様々な視点から放射能に汚染された環境での暮らし描き出す。
そうした多様なエピソードをつないでいるのが、ヴァス氏自身の声で観客に直接語りかけるナレーションだ。テキストは、日本の作家、早助よう子氏が原発事故後に経験した不安や恐怖を日記形式で綴った、「Journal of a Radioactive Brain(放射能脳日記)」を「大胆に翻案したもの」だという。
映画の冒頭では、ヴァス氏と早助氏がプロジェクトの詳細についてやり取りする様子が紹介される。早助氏が、「私の文章は、私が信頼を失ってしまった日本語で再現されてはならない」と条件を伝えるメールもある。
>> 映画の予告動画がこちら。
沈黙を強いられた女性の声
ヴァス氏が最初に早助氏の作品を知ったのは、フランス語で出版された原発事故に関するエッセイ集、「Fukushima et ses invisibles(仮題:福島とその見えない人々)」を通してだった。そのため、ヴァス氏の翻案は日本語からフランス語、さらに英語、そして紙面からスクリーンへと、複数の翻訳プロセスを経ている。映画は早助氏の日記形式を保ちながら、時には時系列を行き来しつつ、時の流れに沿って作家の思索を追っていく。
日記は、女性文学の歴史の中で特別な位置を占める。「女性作家」という概念が不在だった長い何世紀もの間、才気ある女性たちは、日々の暮らしを綴る自伝的記述に自らの表現手段を見出していた。
こうした日記は、その時代や場所に生きた女性たちの暮らしや背景を垣間見せる窓であると同時に、女性の地位向上、あるいはその欠如を浮き彫りにする政治的な記録でもある。ヴァス氏は、早助氏の日記は「災害をマクロな政治ではなく、ミクロな政治の視点から捉えている」と説明する。
早助氏の文章は二人称で綴られる。自伝的な文体としては珍しいスタイルだが、ヴァス氏は、必ずしも主語に単数形の「私」を使わない日本語の性格にも通じるものだと話す。
鋭い観察眼のカメラワークと、それに寄り添うヴァス氏のナレーションが組み合わさり、二人称の語り口は、語り手が直面する状況に観客を自然に引き込む。同時に、ヴァス氏は映像を通して自身の視点を体現する。「視線を『目』から『体』へとずらすような映画的手法はないかと考えた。単なる印象ではなく、リアルに感じられるように具現化したかった」と語る。
映画をどう解き放つか
早助氏の視点は、映画の中で重要な位置を占めてはいるが、「Hanabi」を構成する数ある視点の1つに過ぎない。早助氏はヴァス氏に対し、「私だけに語らせないで欲しい」と求めたという。
日記というスタイルゆえ、「Hanabi」が女性の自伝文学の系譜に位置づけられるとしても、ヒステリーを核心的テーマとして描くことにより、作品のフェミニズム的視点が明確になっている。早助氏は日記の中で、放射能への不安を「妄想」として片付けようとする社会的な力によって、本質的な「ガスライティング」を受けてきた経験を綴っている。ヴァス氏は、「これは狂気についての映画だ」と語る。「同時に、家父長制や国家、家族、医師など、世界のシステムのあらゆるレベルで、いかに大惨事を『当たり前のこと』として受け入れさせようとしているか、を描いた映画でもある。狂気とは、『いや、本当は何かがおかしい』と気づかせてくれるもの。一種の『明晰さ』だ」
ヴァス氏は放射能で人生に影響を受けた人々を探した。ある女性は汚染されて住めなくなった家に戻り、危険な状況にもかかわらず庭で咲き続ける花の手入れをする。福島でボランティアの除染作業をする男性は、日常的に遭遇する放射能の実態を腕時計の隠しカメラで記録し続ける。ヴァス氏は、こうした映像と人々の人生を織り合わせることで「作品にパッチワークのような効果が生まれる」と語る。
そうして織り合わされた様々な視点は、早助氏の日記と相まって、作品に独特のリズムを生み出す。ヴァス氏が編集者と共同制作したのは、この「Hanabi」が初めてだった。その背景には、自身のキャリアにおける最大の挑戦の1つがあったという。「政治や伝統、メディアなど様々な要因によって分断された世界をつなぎ合わせること。つまり、犠牲者と思想家、汚染された地域とそうでない地域を、結び合わせること」だった。
ヴァス氏は、作品のテンポを作り出すうえで重要だったのが、編集者チャギグ・アルズマニアン氏の役割だったと強調する。「チャギグは1日かけて私とじっくり話した後、『ではもう帰って。10日後にまた来て』と言った。『え?』と思ったが、ただ『帰って』と。彼女の言う通り、私も人を信頼することを学ぶべきだと思い、10日後に戻った。最初の30分を見て椅子から転げ落ちそうになった。『この作品の姿がこうあるべきだと、一体どうやって分かったのか?』と尋ねると、彼女はこう答えた。『自分の映像を信じていないのか?全てはそこにある』と」
ただ思うのではなく考える
「Hanabi」は緊迫感ある雰囲気でスタートする。ジャズ調の音楽に乗せて、様々な風景や人々の生活、そして自分の恐怖を「非合理的なもの」と決めつける医師たちに不満を募らせていく語り手の姿を映し出す。やがて映画は、静かで瞑想的な雰囲気に変わっていく。
空から水面へと沈む夕日が映し出される、約7分間のシーンがある。ある上映会ではこのシーンで観客が明らかに苛立ち始めたと聞かされ、ヴァス氏は面白そうに言った。「私たちは、何事にもスピードが求められる世界に生きている。それはあまりにも非現実的。私にとって、あえて『ペースを落とす』ことは、ますます実存的で政治的な意味合いを持っている。なぜ、7分間ただ夕日を眺めることができないのだろう?」
この幻惑的な夕日のシーンは、映画の終盤に広がる黙想的な映像へと観客を導いていく。こうした演出ゆえに、「Hanabi」は映画館よりむしろ美術館での上映に向いていると考える人もいるかもしれない。だがヴァス氏自身は違う。
「映画とは、世界と私たちの感じ方をつなぐもの。世界と向き合い、じっくり観察するための手段でしかない。ただぼんやりと思いに耽るのではなく、積極的に考えることが重要だ。これは視覚芸術だ、あるいは文学だと言う人もいるだろう。だがそうではない。あくまでも映画であり、あらゆる段階で観客を解釈プロセスに巻き込んでいく、そういう映画だ」
編集:Catherine Hickley & Eduardo Simantob 英語からの翻訳:由比かおり 校正:宇田薫
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