正確な時刻は誰が決める?
スイスの郵便局は長年、電話やラジオを通じて各家庭に正確な時刻を知らせてきた。早朝のモーニングコールをかけることさえあった。
スイスインフォでは、スイス国立博物館のブログ外部リンクから歴史に関する記事を定期的に紹介します。ブログの記事はドイツ語、フランス語、英語などでも掲載されています。
時間計測システムは19世紀まで地域差が大きく、日の出・日の入り、南中位置に依拠していた。
機械式時計も日時計を基準にしていた。特に農村部では、教会の鐘の音が1日を仕切っていた。
空間も時間も天文のリズムに定められていた。太陽が空に長く留まる夏は時間が延びた。要するに、教会は時間の守護者だった。
だが機械式時計の精度が高まるにつれ、質が高いと「感じられた」時間計測は、量的な競争に突入した。計測された時間が徐々に広まり、長い間さまざまな計測手法が混在した。
教会と聖職者は、容赦なく正確に測られた時間を、一日の流れから神聖さを奪う競争相手とみなした。フランス革命後の数十年間は、カラらにとっての退却戦だった。教会は時間に対する支配を維持しようと試みたが、19世紀半ばには敗北を認めざるを得なかった 。
鉄道と電信
電信と鉄道という2つの大規模ネットワークは、時刻に地域差があるなかでの運用は困難だった。
連邦内閣(政府)は1853年、スイスで時空間的な混乱が生じるのを防ぐため、ベルン時間を郵便・電信の公式時間として定めた。鉄道もベルン時間で運行された。
こうして電信は、国内全域に統一時間を普及させる原動力となった。その後、連邦郵便電信局(後の郵便・電信・電話公社=PTT)が電信事業を管轄するようになった。
国際社会においても同様の問題が発生していた。グローバル化が進むにつれ、あらゆることに統一された拍子が求められるようになった。
1884年、ワシントンで開かれた会議で、グリニッジ子午線を世界的な基準点として採用することが決まり、タイムゾーン導入への道を開いた。1894年にはスイス政府が中央ヨーロッパ時間をスイス全体の公式時刻に採用し、スイスは世界で初めて統一された時間制度を導入した国となった。
スイスの時計産業の中心地、ヌーシャテル
しかしまずは、正確な時刻を決定する必要があり、それには天を見上げなければならなかった。望遠鏡を使い、特定の星が子午線を通過する時点を観測する必要があった。
1860年以降、正確な時刻を決定する任務はヌーシャテル天文台に委ねられた。ここには星の動きと地球の自転に合わせて調整された高精度の振り子時計が設置された。
ヌーシャテル天文台はもともとはジュラ山脈に広がる時計製造業界外部リンクの要望を受けて設立されたもので、地域の経済発展に貢献していた。
時刻信号は毎日、通信需要が低い正午に電信された。時計製造学校や時計工場は、ヌーシャテルから正確な時刻を取得するために少額の使用料を支払った。一方、PTTはこの信号を無料で利用しただけでなく、ヌーシャテル天文台に回線使用料として年間数百フランを請求した。PTT自身もヌーシャテルから提供される正確な時刻の受益者だったにもかかわらず。
ヌーシャテル天文台から送られた時刻信号は電信線を通じて郵便局や電信局、鉄道駅に送られ、親時計の調整に使われた。この仕組みが地域の時計設備の中核を形成した。
ヌーシャテル天文台はすでに数百分の1秒の精度を誇っていたが、スイス全土に散らばる親時計の精度は数秒に達していた可能性がある。大規模な電気時計設備は、電信線から送られる信号と自動的に同期し、複雑な機構によりずれを補正した。
第一次世界大戦後、懐中時計、腕時計、目覚まし時計は日常生活に欠かせないものとなった。しかし、それらの機械式ムーブメントはまだ精度が低く、時折調整が必要だった。
そこでPTTは1935年、正確さという「公共サービス」の提供を始めた。16番(後に161番)をダイヤルすると、「音声時計」がPTTの銅線電話回線を通して正確な時刻を知らせてくれた。アナウンスはいつも「次のチャイムで、時刻は…になります」という言葉で始まった。
1933 年にパリの電話網で導入されたこの仕組みは、トーキーの原理に基づいて発明された。光電セルがあらかじめ収録された時、分、秒の音声を読み取るのだ。1935~56年の間に、ブリリエ(Brillié)製の時計 3 台が稼働した。
スイス初の音声時計は1935年にジュネーブに設置され、フランス語を話しました。同じ年、ベルンにドイツ語版が導入されたが、南部ティチーノ州の住民はイタリア語版の開始を1942年まで待たなければならなかった。第4の国語であるロマンシュ語版の導入は1987年のことだった。
音声時計は長い間、高い人気を博した。ドイツ語圏の大手紙NZZは1992年、2200万件以上の利用があったと報じている。1981年に始まったサマータイム制が需要の急増を引き起こしたとされる。
PTTは1920年代終盤から独自のサービスを提供した。朝が苦手な人は11番(後に111番)に電話をかけることで、公共機関であるPTTに起こしてもらうことができたのだ。
1941年当時、モーニングコールの利用料金は1回0.20フラン、または月額2フランでした。1965年、PTTのモーニングコールサービスには専用の番号166番が割り振られ、サービスは自動化が進んだ。
モーニングコールに誰も出ない場合は、さらに2回ベルが鳴らされた。現在では当たり前の「スヌーズ」機能が普及するずっと前から、PTTは同様のサービスを提供していたのだ。
だが時刻関連ではるかに人気のあった公共サービスは、ラジオ放送による時刻信号だ。スイスでは、1910年にパリ天文台がエッフェル塔から送信される時刻信号を受信したことから、ラジオ放送の時代が始まった。
時刻信号の受信許可第1号はローザンヌ大学の物理学および電気工学の教授ポール・ルイ・メルカントン外部リンクが取得した。第2号はラ・ショー・ド・フォンの時計製造学校に与えられた。
エッフェル塔の重要度が上がるにつれ、時刻信号の発信に関してヌーシャテル天文台は次第に意味を失っていった。
第一次大戦が勃発すると、電信局はすべての無線受信機を没収した。1916年、電信局は時刻信号を電話サービスに置き換えたが、これもエッフェル塔の送信機に依存していた。10時56分から11時ちょうどの間、一連の信号が電話を通じて送信された。
だが1920年代になると、ヌーシャテル天文台の正確な時刻が復権した。1926年以降、新聞のラジオ面を見ると、「ヌーシャテル天文台からの時刻信号」がラジオ・ベルンの固定放送予定に登場していたことがわかる。1930年代には、3基(ベロミュンスター、ソッテンス、モンテ・チェネリ)の国営送信機がこの伝統を引き継ぎ、毎日12時30分と16時に、正確な時刻をリズミカルな音信号で放送した。
L’horloge parlante. Enregistrement des années 1970. (RTS):
ヌーシャテル天文台は、その後も技術の最先端を走り続けた。1940年代後半には、親時計の振り子がクォーツ式に置き換えられた。
1958年のブリュッセル万国博覧会ではヌーシャテルで設計された原子時計が発表され、正確な時刻の決定に貢献した。1958~2011年はレマン湖畔の町プランジャンに置かれた長波送信機が法定時刻を放送した。
1982年以降、スイスにおける正確な時刻測定は現連邦度量衡研究所が所管している。ヌーシャテル天文台は2007年に時刻測定の役割を終えた。PTTの民営化に伴い、後継のスイス郵便と通信事業社スイスコムは時刻伝送の独占権を失った。
2012年12月14日午後12時30分、最後の無線時刻信号が放送された。デジタルラジオ(DAB+技術)への移行により、このような信号をリアルタイムで送信することは不可能になってしまったのだ…。
本記事の著者であるユーリ・ジャケメ氏は、ベルンにある通信博物館の情報通信技術部門のキュレーターです。本記事の原文は、
通信博物館のブログ外部リンクに掲載されました。
独語からのGoogle翻訳:ムートゥ朋子
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