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「アルプスのクレタン」をめぐるブレークスルー 風土病を根絶した3人のスイス人医師

オーストリアの著述家フランツ・ザルトーリによる国内旅行記(1819年)の挿画。クレチン症はアルプス全体で見られた
オーストリアの著述家フランツ・ザルトーリによる国内旅行記(1819年)の挿画。クレチン症はアルプス全体で見られた Wikimedia / Sartori, Franz (1819)

「クレチン症(先天性甲状腺機能低下症)」は、アルプス地方で古くから見られた原因不明の風土病だった。1920年代にヨウ素が食塩に添加されてようやく姿を消したこの病気の原因を突き止め、治療法を確立し、予防に力を尽くしたのは3人のスイス人医師だった。

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スイスといえば、精密さ、革新技術、高級品、裕福…というのが世界的なイメージだ。だが、あまり遠くない過去には特有の難病で知られていた。

19世紀、美しいアルプスの谷で観光業が花開き始めたころ、フランスの地理学者エリゼ・ルクリュが1875〜1876年に、地元住民について次のように書き記している。「幅の広い胸板と鋭いまなざしを持ち、揺るぎない足取りで険しい岩山を登るこれらの雄々しい山岳民の傍らで、みじめな肉の塊が身を引きずるように前へと進んでいた。クレタン(クレチン症患者)たちは垂れ下がる甲状腺腫を抱えていた」

この地方を見舞ったクレチン症には、数えきれないほどの記述が残されている。上の引用はフランスの歴史家アントワーヌ・ド・ベック氏の著書「アルプスのクレタンの歴史」から引いたが、これも1例でしかない。代表的なものに、ディドロとダランベールの「百科全書」(下記)がある。

「この名称は、ヴァレー(ヴァリス)州、特に州都シオンで数多く生まれる、ある種の人々に使われている。彼らは耳が聞こえず、話すことができず、精神は麻痺しており、殴られてもほとんど感じない。さらに、ベルトにまで垂れ下がる甲状腺腫がある。とはいえ、これら全てにもかかわらず、気質は極めて穏やかだ。彼らは考えをまとめられず、目先の欲求への激しい衝動だけに駆られて、あらゆる感覚的な快楽に身を任せる。だが、思考の単純さゆえに、それを罪だと認めることができない。

ヴァレー州の素朴な住民は、『クレタン』を家の守護天使と考えており、1人もいない家の者たちは、天から慈悲の目を向けられていないのではないかと恐れている。この『クレチン症』の原因と帰結を解明するのは困難だ。衛生状態の悪さ、教育、谷の極端な高温、水、さらには甲状腺腫でさえも、これらの地域の全ての子どもたちが共有している。それでも全員がクレタンとして生まれるわけではない。

フランスのリヨン王立協会のモジロン伯爵がシオンに滞在していた間に、そのような人物の1人が死亡した。伯爵は解剖の許可を得られず、(したがって、おそらく生きている)男女を標本として調べることでよしとした。伯爵は外見を観察したが、極めて青黒い黄色味を帯びた皮膚のほかには、特筆すべき点は何も見つけられなかった。この詳細は、モジロン伯爵の回顧録に由来し、抜粋が我々に伝えられ、リヨン王立協会の前で読み上げられた」

クレチン症の人々は、低身長症を伴うことが多く、耳が聞こえず、話すことができない。多くの場合に甲状腺腫と呼ばれる首の膨らみがある。最も深刻な影響を受けるのは脳で、知的な発達が幼児の段階にとどまる傾向がある。

すでに古代ローマの時代に、この病気は特にアルプス地方で見られることが知られていた。20世紀の初めにこの地方から根絶される前には、高地の谷に住む人々の最大90%に甲状腺腫があり、最大2%がクレチン症を患っていたと推定されている。施設に入れられることも多かったが、ほとんどは家族のもとにとどまっていた。

スイスがフランスの影響下にあった1810年に、ナポレオンの命令で行われたヴァレー州の人口調査では、住民7万人のうちおよそ4000人がいわゆる「クレタン(cretin)」だった。最も有力な説によると、現在は蔑称とされているこの言葉は、ラテン語のchristianus(キリスト教徒)に由来するスイスのフランス語crestinから来ている。おそらく、この不思議な病気に苦しむ人々を遠回し言い表すために使われていたのだろう。彼らは病気でも確かにキリスト教徒で、そのうえ無垢なので、神に愛されていることを示唆していた。

1920年ごろのクレチン症の女性
1920年ごろのクレチン症の女性。ベルン大学医学史アーカイブの写真 Institut für Medizingeschichte der Uni Bern, Archiv

美しいアルプスの氷によって失われたもの

クレチン症患者を見ようと多くの観光客がアルプスの谷にやって来た。その一方で、彼らは医学的に興味深い研究対象にもなり、この現象を説明するために多くの仮説が唱えられた。低い衛生水準、近親婚、湿気、水質の悪さなどだ。

だが本当の理由は、何らかの要素が外側に存在していたことではなく、ある要素が欠けていたことだった。実際にクレチン症を引き起こすのは、食事のヨウ素不足だ。

この元素はもともと海洋に大量に存在していたが、太古の時代に海が後退したあとで陸地に堆積した。やがて最終氷期(氷期と間氷期を繰り返すサイクルのうち、現在の間氷期の直前の氷期。約7万年前〜1万5000年前)に、アルプス地方を覆った分厚い氷の層が何百メートルもの深さにわたって地面を削り、ヨウ素を少しずつ「洗い流して」いった。この事実がようやく明らかになったのは、バーゼルの外科医フランツ・メルケによって、古代氷床の地理的な広がりが甲状腺腫に見舞われた地域と正確に重なり合うことが証明された1965年のことだ。

ヨウ素は甲状腺が、つまり首の付け根にある蝶の形をした薄い臓器が正常に働くために欠かせない元素で、代謝や成長、発達に重要な役割を果たしている。ヨウ素が十分に摂取されないと、甲状腺ができるだけ多くのヨウ素を取り込もうとして膨らみ、甲状腺機能低下症や甲状腺腫が引き起こされる。妊娠中の女性にヨウ素の摂取不足が起こると、生まれてくる子どもがクレチン症になる恐れがある。

「先見者」の発見と「科学者」の実験

ドイツ語圏の日刊紙ターゲス・アンツァイガーの記事によると、誤った推測を事実上初めて正し、当時のためらいがちな雰囲気を変えた人物は、チューリヒ州アドリスヴィールの医師ハインリヒ・フンツィカーだった。1914年5月、この医師はわずか24ページの論文で、甲状腺はただ単に、足りない栄養素、つまりヨウ素に「飢えている」ために腫れるのだと説明した。

同じ洞察を得た人物はその前にもいた。例えばジュネーブ出身の医師ジャン・フランソワ・コワンデは、フンツィカーのほぼ1世紀前にこの事実に気付いていた。だが、ヨウ素を誤って大量に使い、彼自身に加えて、数多くの患者を特に苦しめる結果になった。これに対してフンツィカーが見抜いたのは、ヨウ素は薬として大量に投与するようなものではなく、食事に欠かせない成分で、ごく少量を補っていくべきだということだった。

ターゲス・アンツァイガーはフンツィカーを「先見者」と呼んだが、もう1人の医師、ヴァレー州のオットー・バヤールの方は「科学者」だと述べている。1918年、バヤールは彼1人で立てた計画を実行に移し、少量のヨウ素を加えた塩の袋をラバに背負わせると、ヴァレー州東部の村グレヘンに向かった。「アルプスの災禍」に激しく見舞われていた、人里離れた村に住む5つの家族に彼の食事療法を説明し、冬の5カ月の間、試してもらった。

すると、春までに甲状腺腫は消えて、ヨウ素中毒の兆候も認められなかった。バヤールはこの希望の持てる成果によって連邦政府の資金を得て、グレヘンの北の村テルベルでも実験を行った。結果は大成功を収め、甲状腺機能低下症の症状があった1000人を超える人々が短期間のうちに回復した。

1922年1月、学者や軍隊関係者、保健当局者からなる「スイス甲状腺腫委員会」がベルンで会合を持ち、フンツィカーやバヤールの発見について話し合った。答えが見つかったと考えるグループと、大規模な中毒を懸念するグループとの間で激しい議論が交わされたのち、同委員会は6月、全ての州に対して(当時も今も塩の専売権は州にある)、ヨウ素添加塩の販売を開始し、消費を促すようにという公式勧告を出した。

たった1人のマーケティングキャンペーン

クレチン症をめぐるスイスの先駆的な成功は、3人目の医師がいなければ達成できなかっただろう。「先見者」と「科学者」に続いて大きな功績を残したのは、「活動家」、つまりアッペンツェル・アウサーローデン準州の州都ヘリサウの外科医ハンス・エッゲンベルガーだった。

スイス甲状腺腫委員会のメンバーだったエッゲンベルガーは、フンツィカーとバヤールが示した解決策は正しいと確信していた。とはいえ、疑い深いスイス人を説得するのは並大抵のことではないと分かっていた。上から押し付けられた食の方針に従わせる――よりによって食べ物とは!

そこで地元の州で本格的な啓蒙活動に身を投じた。昼間は手術室で過ごし、夜になると映画館で教育的な講演を行った。投影機とスライドを使い、病気の影響と治療法の利点を視覚的に示して見せた。分かりやすく伝える才能の持ち主だったエッゲンベルガーは、ヨウ素添加塩を自然な製品のように感じさせるために、「全塩(Vollsalz)」という言葉を考え出した。

さらに、連邦政府の決定を待つことなく、自ら共同設立した赤十字の地元支部を通じてヨウ素添加塩の導入を求める署名活動を始めた。1922年2月12日までに3480筆も集め、その1週間後に州が販売許可を出した。スイス甲状腺腫委員会の勧告に先立つこと数カ月の承認だった。

勧告が届くころには、エッゲンベルガーの努力は実を結び始めていた。スイス・ライン製塩会社が同年11月にヨウ素添加塩を初出荷し、わずか1年後には17の州で購入できるようになっていた。

ヨウ素を添加した食塩の製造ライン。バーゼル・ラント準州のシュヴァイツァーハレ製塩所で1970年に撮影
ヨウ素を添加した食塩の製造ライン。バーゼル・ラント準州のシュヴァイツァーハレ製塩所で1970年に撮影 KEYSTONE/PHOTOPRESS-ARCHIV/Fritz Grunder

1920年代末には、この予防法はスイス全体に広まっていた。耳の聞こえない子どもが生まれる頻度や、甲状腺腫の発生率は大幅に下がり、1930年代以降、スイスで「クレタン」は生まれていない。

スイス甲状腺腫委員会は現在、「フッ素・ヨウ素委員会」の名称で知られ、ヨウ素不足が原因の病気が再び発生するのを防ぐために、監視や予防に重要な役割を果たしている。

スイスの例は模範になり、1924年に最初に追随したのはアメリカだった。数十年で多くの国が続き、フランス語圏の日刊紙ル・タンによれば、法律で義務付けられている国もあるが、スイスでは任意のままになっている。

出典

「Histoire des crétins des Alpes(仮訳:アルプスのクレタンの歴史)」、アントワーヌ・ド・ベック著、La librairie Vuibert、2018(フランス語)

アルプスのクレタンは、本当は誰だったのか外部リンク――ナショナル・ジオグラフィックのアントワーヌ・ド・ベック氏インタビュー(フランス語)

3人の英雄的な医師は、どのようにしてスイスを甲状腺腫から救ったのか外部リンク――ターゲス・アンツァイガー(ドイツ語)

スイスの塩外部リンク――スイスインフォ(日本語)

クレチン症外部リンク――スイス歴史事典(イタリア語、ドイツ語、フランス語)

ジャン・フランソワ・コワンデの実験外部リンク――スイス医学レビュー(フランス語)

ヨウ素添加塩外部リンク――スイス連邦内務省保健庁(イタリア語、ドイツ語、フランス語)

ヨウ素、クレチン症とアルプス外部リンク――ル・タン(フランス語)

日本ではヨウ素(ヨウ化物)が食品添加物として認められていないため、塩へのヨウ素添加ならびにヨウ素を添加した塩の輸入は禁止されている。

編集:Daniele Mariani、英語からの翻訳:鵜田良江、校正:宇田薫

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