インターネット以前から続く極右の情報戦略 今こそ古い雑誌の研究が重要な理由
現代の極右勢力のコミュニケーション戦略を理解するために、スイスの歴史学者が第二次世界大戦後の右翼ネットワークが発行した古い雑誌を研究している。
ヨーロッパとアメリカの極右政治シーンの代表者がポルトガル沿岸で会合を開き、「美学」や「アヴァンギャルド」、「ミーム」や「バイブス」、「メディア対策」や「用語」について語り合うとき、そこにはインターネット以前の時代が想像以上に深く関係している。
現地にいたスイスの極右活動家が雑誌レプブリク(Republik)に対し、このいわゆる「リミイグレーションサミット」は大部分がスイスから組織されたものだと語った。
過激派グループにとって、デジタルプラットフォームやソーシャルメディアは情報発信やメンバーの動員に欠かせないツールとなっている。彼らは主に偽情報(最近ではAIで生成することが増えた)を駆使して、一種の「反公共空間」を築いている。
スイスは以前から、ヨーロッパの極右ネットワークにおいて一定の役割を果たしてきた。
第二次世界大戦後にファシズムや極右思想がどのように拡散し、ネットワークを広げ、新たに編成されてきたのかを理解するために、研究者たちは、いわゆる「カウンターメディア(対抗メディア)」に注目するようになった。
カウンターメディアとは、主流、覇権、あるいはエリートとみなされるメディア空間に対抗する存在として自らを定義する出版物を指す。初期にカウンターメディア、あるいはオルタナティブメディア(代替メディア)と名乗った媒体の多くは、既存の体制に抵抗する進歩的な性質を持ち、社会の周縁に追いやられたテーマや集団に声を与えた。1970~80年代に発行されていたフェミニスト雑誌、たとえば西ベルリンのクラージュ(Courage)などがそこに含まれる。 その一方で研究者は、反民主主義、陰謀論、極右などの出版物やプラットフォームもカウンターメディアに数える。21世紀に入ってからは、そうした媒体は自らのことを「オルタナティブメディア」と呼ぶことが増えた。
雑誌の強み
歴史学者のフランカ・シャート氏は、20世紀の半ば、「政治的な議論において雑誌こそが最も刺激的な媒体だった」と語る。シャート氏は、スイスのフリブール大学とベルン芸術大学の共同研究プロジェクト外部リンクに参加し、現代のカウンターメディアの前身となる過去の出版物を調べている。
シャート氏は、1960年代以降にドイツやスイスで数多く創刊された新右翼系雑誌に見られる男性像をテーマに、博士論文を執筆している。雑誌は書籍に比べて印刷が速く、費用も安かった。シャート氏は「そのため、小さなグループや個人が意見を容易に広めることができた」と説明する。
敵でもあり手本でもあった68年世代
哲学者のユルゲン・ハーバーマスが1962年に記したように、この動きは「公共性の構造転換」と同時期に起こった。1933年以降、ナチス独裁政権が報道の自由を破壊したため、1945年の終戦後のドイツ・メディア市場には空白があった。その空白が、一握りの大手メディア企業によって独占された。シャート氏は「それに反発したのが68年運動だった」と説明する。
ドイツやスイスなど、各国で左翼学生が運動を起こし、社会と政治の変革を求めた。右派は68年世代を複雑な思いで見ていた。左派は敵である一方、その出版活動は手本にもなったからだ。
多くの右翼系雑誌が、当時の左翼系雑誌の特徴であるコラージュや型抜きを用いたDIYスタイルをまねた。シャート氏は、「当時の技術力で当時の流行を追うと、自然とそのスタイルに落ち着いた」と話す。
おすすめの記事
忘れられた戦後史 極右が国際ネットワークを築くまで
アントニオ・グラムシに学ぶ
右派の言論人や知識人は、イタリア人共産主義者アントニオ・グラムシが唱えた、政治権力を掌握するにはまず人々の「頭の中を変える」必要があるという左派思想を手本にした。その狙いは、文化、「前政治的空間」、そして世論に入り込むことだった。
1960~80年代の右派雑誌は、理論を巡る意見交換や議論の場であることに加えて、「言ってよいことの境界」をどこまで押し広げられるかを試す実験の場でもあった。シャート氏は、右派は「不平等と暴力が大きな役割を担うイデオロギーを、どうやって再び世間に受け入れさせることに成功したのか?」と問いかけたうえで、すぐに自ら「実際の立場や世界観は相変わらず国家主義的で、民族至上主義的であるにもかかわらず、自らを知的な存在として位置づけ、ファシズムとは異なる言葉を用いたからだ」と答えを示した。
その結果として生まれたのが、耳にやさしい婉曲表現や、ときに仲間内でしか伝わらない隠語だ。たとえば、「新右翼」という用語もそうで、スイスを含むヨーロッパでは20世紀後半、右翼急進派から暴力的な極右まで、さまざまなグループがこの言葉を自称として使うようになった。シャート氏は、「新右翼」という言葉は、ナチズムや極右とのつながりを覆い隠す役割も果たすと指摘する。それでもこの用語は研究の世界でも定着しており、今回の「カウンターメディア」プロジェクトでも使われている。
右派コンテンツを拡散させるアルゴリズム
最近の新右翼は「オルタナティブな右派」と名乗ることが多い。より穏健な層からの支持を増やすためだ。コペンハーゲン大学で主にソーシャルメディア上での政治的コミュニケーションと偽情報などを研究しているフランツィスカ・マルクヴァルト氏(コミュニケーション学・メディア学)は「右派のコミュニケーションスタイルや言葉遣いを過小評価するのは危険だ」と語る。
マルクヴァルト氏によると、ミームを用いたり政敵を笑いものにしたりする手法は、極右に典型的なコミュニケーション戦略だ。「ユーモアで包むことで、問題のある内容が普通で、害のないものに見えてしまう」
最新の研究では、TikTokなどのプラットフォームが右翼系のコンテンツを増幅させることがわかっている。アルゴリズムがポピュリズム的で感情的な投稿を優遇するためだ。マルクヴァルト氏は、「何気なくスクロールしているだけでも右翼急進主義的なコンテンツに触れてしまう可能性は高い。特に新規ユーザーはそうだ」と説明する。
信頼の問題
マルクヴァルト氏は、急進的で過激なカウンターメディアやその「デジタルバブル」に触れたからといって、投票行動に影響するのは一部の人に限られ、人種差別的な考え方など、ほかの要因も関係しているという。しかし、カウンターメディアが政治やメディア、あるいは民主制度への信頼を弱めることは、すでに実証されている。
マルクヴァルト氏はドナルド・トランプ米大統領のプラットフォーム、トゥルース・ソーシャルを例に挙げ、当局や政府自らが偽情報や扇動的な内容を含むカウンターメディアを生み出している場合、問題はいっそう深刻になると指摘する。また、国民全般が国家をどこまで信頼しているかによって、右派ポピュリズムや過激主義の意見の受け入れられやすさも変わる。
おすすめの記事
スイスが国民に信頼される理由
作文コンテストと寛容な環境
20世紀の右派雑誌も、扇情的な内容や意図的な偽情報で読者の関心を引こうとした。シャート氏は「ナツィオン・オイローパ(Nation Europa)やイム・ブレンプンクト(Im Brennpunkt)といった雑誌にはプラットフォームのような役割があった」という。自己診断テストや作文コンテスト、読者投稿欄といったコミュニティ的な要素を用いて、連帯感を育もうとしていた。
当時の雑誌もまた、若い読者を主なターゲットとし、時事的なテーマやはやりの言説を積極的に扱った。68年運動をきっかけに、大学では左派の政治雑誌が増えたが、ノイエ・シュトゥデンテン・ツァイトゥング(Neue Studenten-Zeitung)のような右派保守の雑誌も登場した。シャート氏は、このノイエ・シュトゥデンテン・ツァイトゥングに加え、アーベントラント(Abendland)、シュヴァイツァーツァイト(Schweizerzeit)、メモプレス(Memopress)を、当時のドイツ語圏スイスで最も影響力のあった新右翼の媒体に挙げる。 シャート氏によると、スイスの雑誌の広がりはドイツの同種の雑誌に比べるとはるかに小さかった。しかし、国境を越えて極右がつながる「ネットワークハブ」として、スイスは中心的な役割を担っていた。この点は現在も変わっていない。その理由としてシャート氏は、多言語国家であることと、近隣諸国に比べて「右翼急進派のイベントに対する寛容度が高い」ことを挙げる。
アルミン・モーラーとエミール・ラームの影響
スイスはまた、国際的に活動した個人を通じても新右翼に影響を与えた。評論家のアルミン・モーラー氏や、飲料メーカーのリムス(Rimuss)の相続人で、キリスト教系陰謀論の雑誌を発行したエミール・ラーム氏がその代表だ。
モーラー氏はナチス・ドイツで武装親衛隊(Waffen-SS)に加わろうとした。戦後はヨーロッパの極右に「保守革命」という思想を広めた。
現代の極右は、歴史上の先人たちを公然と手本にする。つまり彼らは、歴史学者と同じ資料に関心を持っているといえる。シャート氏は、現代史研究はこれまで、そうした政治雑誌に十分な注意を払ってこなかったと指摘した。
編集:Benjamin von Wyl、独語からの翻訳:長谷川圭、校正:大野瑠衣子
JTI基準に準拠
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。