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豊かなスイスで高齢者が貧困に陥るワケは?

高齢者
日本やスイスでは、高齢者の2割が貧困に陥る Keystone / Junji Kurokawa

スイスでは定年退職者の貧富の差が顕著になっている。大半の高齢者が十分に生活費を賄える一方で、5人に1人は貧困ライン以下、またはギリギリの生活を余儀なくされている。貧困率は日本と似通っているが、スイスには高齢者が労働市場に参加しにくいという事情もある。

わずかな年金で暮らすベルナール・アポテロさんとピエレットさん夫婦は、公的な補足給付金も受けず、貯蓄もない。日々の請求書の支払いがとても困難な状況にある。急な出費に対処する余裕は全くない。「いつも首まで水に浸かった感じで、あっぷあっぷの生活です」と話すベルナールさんは、お金のことで「とてもストレスを感じています」と言う。この数年間で医療費や日用品の価格が上昇したこともまた、2人を苦しめている。

swissinfo.chはヌーシャテルの小さなアパートで、高齢者支援団体の「プロ・セネクトゥーテ(Pro Senecture)」のスタッフと面会する夫婦に付き添った。同団体は、高齢者の尊厳ある生活を支援し、生活に困窮する高齢者の社会的な相談やサポートを行う。

定年退職して5年になる夫婦は、歯科治療費の請求書を見て絶望したり、その日の食事の心配さえしなければならない日があった。「月末に買い物をするのにたった20フランしか残っていないこともありました」とピエレットさんは振り返る。「そうなると、必要最低限の物でさえもよく計算しながら買わないと…」

不要不急の支出はしなくなった。「もう妻にプレゼントをすることもできない」とベルナールさんは嘆く。娯楽もやめた。今では週に1回だけカードクラブに顔を出し、「たまにコーヒーやビールを一杯飲むだけ」という。街にはいつも歩いて行く。ピエレットさんの楽しみは、たばこだけだ。人づきあいもほとんどしなくなった。来客をもてなすのにはお金がかかり過ぎるし、余裕のある友人たちに対する「コンプレックスもあります」。

スイス連邦統計局によれば、65歳以上の約9%がこの夫婦のように家計のやりくりに行き詰まっている。

現役時代の収入・キャリア中断が重荷に

プロ・セネクトゥーテが委託した最近の調査では、年金生活者の約14%にあたる約20万人以上(現役世代では6%)が生活最低費に当たる貧困ライン以下の収入で生活し、約10万人がその一歩手前にあると推定されている。合わせると高齢者の5人に1人が貧困またはそれに近い状況だ。

国の生活レベルに照らしても、高齢者の低収入が目立つ。経済協力開発機構(OECD)によると、相対的貧困率(所得の中央値の半分を下回る世帯の割合)は現役層の7%前後から65歳以上では18.8%に跳ね上がる。日本も高齢者の相対的貧困率は20%と似ているが、高齢者が突出して高いわけではない。

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女性や学歴の低い人、移民は、他の人たちよりも貧困率が高い。チューリヒ応用科学大学(ZHAW)多様性・社会統合研究センターのライナー・ガブリエル氏は、「つまりこうした層は、現役時代に低収入の職業に就いていたり、キャリアを中断せざるを得なかったりした人たちだ。それが定年後の非常に低い年金に反映されている」と解説する。

日本とスイスの年金制度の比較
swissinfo.ch

ベルナールさんは、定年までキオスク(売店)で棚卸しの仕事をしていた。月給は約4800フラン(約68万円。スイスの現在の給料中央値は約6700フラン)。貯蓄する余裕はなかったが、それでも「借金せずに生活できていました」。今では夫婦2人、月4800フランで生活しなければならない。

夫婦の世帯収入は、2人がそれぞれ受給する老齢・遺族年金(AHV/AVS、日本の国民年金に相当)とベルナールさんの企業年金(厚生年金に相当)から成る。ピエレットさんも働いていたが、息子の育児で数年間休職した後、62歳で解雇され早期定年退職を余儀なくされた。その結果、年金納付期間が足りず満額受給できない。退職時に全額を引き出した企業年金は、あっという間になくなってしまった。当時は必要な選択だったが、今では「大きな間違いでした」と後悔している。

この夫婦の受給額は老齢年金と企業年金の平均的な額だが、子供のいない大人2人の世帯の貧困ラインである月3064フラン(約42万5千円)には程遠い。この金額設定は、スイスのカトリック系慈善団体「カリタス」からは低過ぎるとみなされている。

高齢者支援団体プロ・セネクトゥーテの相談員
夫婦から相談を受けたソーシャルワーカーのセリーヌ・オメロヴィッチさんが、高齢者支援団体「プロ・セネクトゥーテ」による新しい医療費負担サービスの受給条件を説明する。受給資格があると知った夫婦は胸をなでおろした SWI / Pauline Turuban

資産を切り崩せばよい?

スイスの高齢者の経済状況は、全体的には良好であるため、こうした貧困の実態は表面化しにくい。ガブリエル氏によれば、スイスの年金制度は高齢者の貧困を防ぐ効果が十分にあるとみなされている。

物質的はく奪指標

欧州で使われている貧困指標の1つに、生活に必要な財・サービスが欠けている人の割合を示す「物質的はく奪指標(material deprivation index)」がある。医療・教育などの現物給付や資産・ローンなども捕捉し、所得だけでは測り切れない経済状況を知ることができる。スイスの65歳以上の物質的はく奪指標は欧州で最も低い2.8%で、18~64歳の約半分だ。日本については比較できる指標がない。

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定年退職者は一般的に、現役時代に貯蓄をしたり、資産を獲得したりしている。「そのため売却する不動産や補填する財産があるので、定年後の収入が少なくても問題ないと認識される」(ガブリエル氏)。実際、富裕層がこの年齢層に集中しているのも事実だ。65歳以上の半数が、10万フラン以上の流動資産、つまりすぐに現金化できる資産を保有している。貧困ライン以下の収入しかない年金生活者でも4割が流動資産を持つ。

日本でも状況は同じで、高齢者世帯は平均所得こそ312万6千円とその他世帯(664万5千円)の半分程度だが、貯蓄の中央値は1555万円と全世帯(1061万円)の約1.5倍となっている。持ち家率も93%前後と、30歳代の65%と比べて高い。

だがチューリヒ応用科学大学のガブリエル氏は、人によって状況は大きく異なることに注意を促す。第一に、資産は常に換金可能であるわけではない。その典型が不動産だ。老齢での引越しのストレスに加え、所有不動産を売却して賃貸住宅に移ることも、高額な家賃を考えれば必ずしも得策とは言えない。

さらに年金生活者の多くは、そもそも収入不足を補う手段がない。連邦統計局によれば、65歳の約16%に貯蓄がなく、11%は2000フランの不測の支出を賄える資金がない。プロ・セネクトゥーテの調査では、少なくとも4万6千人が貯蓄や資産を一切持たない「行き詰まった貧困」状態にある。

ガブリエル氏は、「現役の人と違い、高齢者は貧困から抜け出すメカニズムを持たない。その最たるものが『労働』だ。老齢期の貧困から抜け出すのがずっと困難なのはそのためだ」と言う。スイスの65歳以上の就業率(2020年)は11%。高齢者の再雇用が進んでいる日本の25.1%に比べると低くなっている。

編集:Samuel Jaberg、仏語からの翻訳:由比かおり、追記:ムートゥ朋子

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担当: Pauline Turuban

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