スイス国民投票に介入するロシア 狙いは「勝利」だけではない
スイス政府によると、27日の国民投票にかけられた「中立イニシアチブ(国民発議)」に対し、ロシアによる影響工作が行われていた。ロシア政府が資金提供するメディアなども、スイスの投票キャンペーンに公然と介入していた。ロシアの狙いについて専門家に話を聞いた。
ロシアはスイスの「中立イニシアチブ」の投票結果に直接的な利害関係を持っていた。イニシアチブが可決されれば、スイスは欧州連合(EU)の制裁に追随できなくなり、2022年春以降、スイスがロシアに対して取ってきた措置は事実上、無効になるためだ。
スイス連邦安全保障政策局(SEPOS)は、ロシアがスイス国民投票の投票キャンペーンに公然と介入しただけでなく、秘密裏にも介入していたことを認めた。政策局はスイスインフォの取材に対し、「組織的に連携した偽情報工作」が確認されたと回答した。ただし、「外国の関係者」が投票結果に決定的な影響を与えたとは考えていないと強調した。
露メディアの記事は誰が?
今回の投票キャンペーンへの公然とした介入では、ロシア政府が資金を提供するプラットフォーム「RT DE」が中立イニシアチブについて多数の記事を掲載したことが目立った。
英国の歴史学者イアン・ガーナー氏は、「プロパガンダ工作は、完璧に作り込んだ1本の記事を狙いすまして送り込むことではない。1本の記事と、それに続く1000本の記事によって行われる」と指摘する。
ガーナー氏は、RTが配信するスイス関連の記事は、「ロシア国内のどこかで、ロシア政府の指示を受けて」制作されているのではないかとみている。
同氏によると、2022年のロシアによるウクライナ侵攻前とは異なり、西ヨーロッパ出身の若手記者は、もはやRTで働くことを望んでいない。そのため「文化的知識の欠如」が記事にも表れ、ロシアのプロパガンダの効果を弱めているという。
例えば今回の国民投票をめぐる投票キャンペーンでは、RTはスイスドイツ語(スイスのドイツ語圏特有の方言)で記事を掲載したが、言葉の誤りが多く、不自然な印象を与えた。RTがスイスドイツ語には存在しない単語や綴りを使っていることは、以前から指摘されている。
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RTは混乱を引き起こした経緯
それでもRTは今年初め、スイスで大きな話題を呼ぶことに成功している。
きっかけは、スイス公共放送(SRG SSR)の受信料を引き下げるイニシアチブを支持するRTの論説記事だった。内容が注目を集め、多くのメディアが取り上げた。
ところが、スイスのメディアが最初の記事を報じてからわずか数時間後、RTは同じ署名で、正反対の立場を取る別の論説記事を掲載した。この手法によって混乱が生じた。 米シンクタンク「アトランティック・カウンシル」のデジタル・フォレンジック研究所(DFRLab)で専門家を務めるルスラン・トラッド氏は、この一件について「典型的な影響工作の手口であり、偶然ではない」と指摘する。
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トラッド氏によると、RTの狙いは「スイス国内で感情的な議論が繰り広げられている政治論争の中心に入り込み、自らの発信を国内政治の『参加者』として定着させ、スイスのメディア空間でどの論調が最も強く響くかを試すこと」だった。その結果、RTは短期間ながら、議論の方向性に影響を与えることができたという。
ロシア外務省マリア・ザハロワ報道官の発言
しかし中立イニシアチブをめぐっては、ロシアは明確に介入した。なかでも、ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官による発言は、スイス国内で注目を集めた。
東欧研究を専門とするスイスの専門家、ウルリヒ・シュミット氏は、「国外から直接、投票先を指示するような発言は、逆効果になることが多い」と話す。
シュミット氏は、ロシアによる介入がスイス国民の間で中立イニシアチブの支持を弱めたとみている。
「ロシア側もそれを分かっていた」とシュミット氏は話す。ザハロワ氏の狙いは、ナチス・ドイツの金塊問題や、第二次世界大戦中にスイスがユダヤ人難民の入国を拒んだ問題など、「スイスの中立が侵害されたとされる事例、あるいは実際の中立違反」について議論を引き起こすことだったと説明する。シュミット氏によれば、こうした議論によって、中立イニシアチブの支持者は「ロシアから発信されたものではない」主張の材料を得ることができる。
ザハロワ氏は発言の中で、近年ロシアが繰り返してきた「スイスはもはや中立ではない」という主張を改めて示した。その一方で、第二次世界大戦中、スイスの金融システムは「ドイツの戦争機械の生命線の一部」だったとも主張した。さらに、中立の意味は「ライヒスバンクから金塊を積んだ貨車が到着した途端、すっかり忘れられてしまった」と述べた。
プロパガンダ専門家のガーナー氏は、第二次世界大戦への言及がロシアのプロパガンダにおいて重要な意味を持つと指摘する。「これこそがプーチン政権下のロシアの本質だ。ロシアは自国を、第二次世界大戦に単独で勝利し、誰の助けも借りなかった、最も優れた反ファシズム国家だと位置付けている。だからこそ、ロシア政府は他国を批判する」。そのためロシアは、スイスについて「歴史的に中立だった」一方、「歴史的にはナチス国家だった」とも主張できるという。「重要なのは真実ではない。混乱を引き起こし、社会を揺さぶることだ」
ロシアの影響工作に対するスイス国民の耐性
スイス安全保障政策局は、「スイス政府は、自国の制度や国民には、こうした影響工作に対する強い耐性が基本的にあると考えている」と説明している。
国民投票をめぐる投票キャンペーンの開始時、イグナツィオ・カシス外相も、スイス国民にはロシア側の発言を適切な文脈で捉えるだけの判断力があると述べた。
東欧研究の専門家であるシュミット氏もこの見方に賛同している。スイスの「公共圏」は十分に発達し、強靭だという。「スイスの民主主義は、影響工作や偽情報を特定し、是正できている」。一方、ドイツでは「極端なフィルターバブルの形成」が進んでいるため、状況は異なると指摘する。「したがって、ドイツでロシアのプロパガンダ・チャンネルが規制されているのは当然だ」
ロシアの国営メディアはEUの制裁対象となっており、EU域内ではそのコンテンツを共有することも禁止されている。
スイスではそうした措置は取られていない。一方、スイスのケーブルテレビ事業者は自主的に、こうしたチャンネルの放送を取りやめている。
トラッド氏も、ロシアのプロパガンダに対するスイスの対応には利点があるとみている。「市場に委ねた部分的な制限」によって、「政府による検閲という印象」を避けながら、最も明白な情報拡散経路を制限できるという。
RTは現在もスイスからオンラインで閲覧できる。中立イニシアチブの投票10日前に掲載されたある記事はすでに、イニシアチブは「勝ち目がない」と報じていた。その記事は、イニシアチブの支持者が投票キャンペーンでデジタル媒体を十分に活用せず、「古いやり方」に頼りすぎたと指摘していた。
匿名のプロパガンダが長期的に与える影響
ガーナー氏は、今回のスイス国民投票の結果が判明する前にスイスインフォの取材に応じ、ロシアの狙いについて次のように説明していた。「ロシア政府の目的は、必ずしも選挙やスイスの国民投票に勝つことではない。もちろん、もしプーチン氏が勝てば、満足して眠りにつくだろう。しかし、そうなる可能性が低いことはロシア側も分かっている」。そのためロシアは、投票に勝つことよりも、自らの主張を広めることに力を入れているという。それが成功すれば「ロシア政府にとってはすでに一種の勝利」になる。「オンライン空間は、ロシア政府が西側の民主主義国に直接影響を及ぼせる場所だ。そして、そこでは『自分対相手』という形で、二極化しやすい傾向がある」
つまり、国民投票をめぐる情報工作は、投票当日だけを狙ったものではなく、長期的な影響を残すことを目的としている。
ガーナー氏がより懸念しているのは、公の場での発言よりも、ソーシャルメディア上で匿名で行われる活動だ。今回の中立イニシアチブをめぐってスイス当局が確認したような、組織的で秘密裏に行われる偽情報工作がそれに当たる。
ブレグジットの例
ガーナー氏は、ロシアによるソーシャルメディア上の工作を理解するうえで、英国のEU離脱、いわゆる「ブレグジット」が分かりやすい例だと指摘する。
「ロシアによる介入が、英国民の過半数をEU離脱に投票させたとは限らない。ロシアが、お金や主権、欧州と英国のアイデンティティをめぐる議論を作り出したわけでもない」
ただ、ロシア側は、それらが英国の民主主義においてデリケートな問題だと見抜いていたという。「ロシアの仕事は、少し火に油を注ぐだけだった。そして10年たった今も、人々はブレグジットについて議論し続けている」
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ロシアのプロパガンダは、感情的な反応を引き出すよう仕向けられているとガーナー氏は付け加える。それは、情報が嘘であり、操作を目的としていることが明らかな場合でも機能するという。
「社会の緊張が常に続き、政治的な相手を憎むようになれば、クレムリンは目的を果たしたことになる」(ガーナー氏)
スイスの政治家たちも、少なくともこの危険性は認識している。27日の国民投票を数日前に控えたスイス連邦議会は、外国による影響工作について「効果的な分析」を行うための基盤を政府が整備するよう求めた。
編集:David Eugster、独語からの翻訳:大野瑠衣子、校正:宇田薫
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