直接民主制の境界線 国民投票にかけていい提案は誰がどう決めるのか
直接民主制の中核をなす国民投票。何を、どう投票にかけるのかについては、スイスを含め世界にさまざまな規定がある。その制度や運用は国ごとに異なるが、直接民主主義の根幹に関わるせめぎ合いはどこでも見て取れる。
ハンガリーでは1990〜2020年、イニシアチブ(国民発議)やレファレンダム(国民表決)が1937件提起された。この国の直接民主制が活発で、市民参加が最高水準にあることをうかがわせる数字だ。だが実のところ、これは手続き開始の件数にすぎず、93%が署名集めの段階にさえ進めなかった。当局が無効と判断したためだ。
ハンガリーとは制度の内容が違うが、スイスのイニシアチブでは所定の要件を満たさず中止となる「不認容」が過去4件にとどまり、直近の事例でも1996年までさかのぼる。
この差はどこからくるのだろうか。縛りが厳しく見えるハンガリーと、自由なスイス。そもそも市民に発議権がない国を除けば、国民投票で何ができ、何ができないのかについて両国は欧州でも両極端に位置する。そして、どちらも民主主義について根本的な問いを投げかける。市民参加はどこからが過剰で、誰がその線引きをするのだろうか。
当局に好都合なルール
ハンガリーの首都ブダペストにあるエトベシュ・ローランド大学の憲法専門家、メーチ・ヤノシュ氏によると、誰が線引きをするのかという問いは同国では極めて重要だ。2010年から今年5月まで続いたオルバン・ビクトル政権の下、裁判所や国家選挙委員会は政治的中立を失ったという。「政府が後ろ盾となっている国民投票には寛容だったが、それ以外には到底満たせない要件を課していた」
なかでも、国民投票にかける問いの言葉遣いや議会の法制化義務を明瞭に示すよう求める要件は「基本的になんでも却下できる非常に柔軟なルール」と化した。例えば、同国では2015年、小売店に日曜休業を義務付ける法律が施行された後、その廃止を目指す国民投票の実施が却下された。メーチ氏はこれを「ばかげている」と批判する。「公共の問題について国民が決めるのが民主主義だ。日曜に店を開けることの是非を国民が判断できないというのは、論理として非常に非民主的だ」
なお、この義務付けは翌年に撤廃された。投票実施を目指す運動は前述の却下以降も続き、2016年4月に最高裁判所が署名開始を支持。オルバン政権は投票で負けるのを避けるため自ら法律の廃止を提案し、これを議会が可決した。
メーチ氏によれば、ハンガリーで国民の判断を信頼していないのはオルバン氏だけではなく、憲法専門家にも直接民主制や国民投票に懐疑的な一種のエリート主義者が多い。この傾向がマジャル・ペーテル新首相の下で変わるかは未知数で、政治家と国民による長年の「相互不信」の克服が大きな課題になる。
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スイスが国民に信頼される理由
境界線をどこに引くか
こうした問題はハンガリーに限らない。政治家は決定権を失うことを、少数派は存在をむしばまれることを懸念し、直接民主制をめぐる論争が頻発する。実際、その負の側面は多くの人が目にしている。例えば、英国では欧州連合(EU)離脱の国民投票後に分断が深まった。また、極右政党は国民投票を好む傾向がある。スイスでも「極端」な提案が投票にかけられたり、同じような提案が繰り返されたりすることに関し、直接民主制が過剰になってはいないか、と考える人がいる。
だが、過剰とはどの程度のことを言うのだろうか。その枠組みを定めるために許容範囲の規定があるが、中身は国によって大きく異なる。ハンガリーのように明瞭性を求める規則もあれば、国民投票での憲法改正を可能にするか、法改正にとどめるかを決める規則もある。さらに、そもそも国民投票でどんな課題の是非を問えるのかも規定されている。チューリヒ大学のダニエル・モックリ氏は財政や国家安全保障のような政策分野全体を対象外外部リンクとする国々を取り上げ、「そうした制約は国民の判断に対する信頼の欠如を表しているため、正当化しにくい」と語る。
一方、スイスでは大きな制約がない。モックリ氏は「軍の廃止をめぐる投票さえあった」と指摘する。イニシアチブに対する公式の規定としては、「形式の統一性」(一般的な提案または具体的な条文案のどちらかであり、その両方ではない)、「内容の統一性」(複数の政策分野の提案を抱き合わせてはならない)、「国際法の強行規範(ジェノサイド=集団殺害や拷問の禁止など)の遵守」という憲法上の3要件外部リンクがある。 しかし、実際に却下された提案はこれまで4件しかない。このうち3件は、軍の資金を平和促進に振り分ける提案など、統一性の要件を満たさないと判断された。また、難民受け入れの厳格化に関する1996年の提案は、迫害の恐れのある場所への送還を禁じた国際規範のノン・ルフールマン原則外部リンクに反すると見なされた。
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国民投票が公正であるために必要なこと
モックリ氏によれば、却下の少なさには制約の少なさ以外にも理由がある。それは、提案の適否を審査するタイミングだ。多くの国で署名前に審査を行う(国際法との整合性はこの段階で問わないこともある)のに対し、スイスのイニシアチブでは必要な有効署名10万筆が集まってから審査を行う。「すでに相当数の国民が支持したことを無効と宣言するのは難しい」ため、当局に政治的圧力がかかるわけだ。さらに、スイスのイニシアチブは政党が立ち上げるのが一般的で、提案の文言が事前に法律専門家によって確認されていることが多い。
もう1つの重要な要因が、提案の適否を議会が審査することだ。スイスには憲法裁判所がなく、選挙委員会も判断に関わらない。さらに、議会には政治的配慮や社会的圧力などのさまざまな理由で「縛りが行き過ぎないよう心がけ、提案を投票に進ませる傾向」(モックリ氏)があり、上訴の仕組みがないためにその判断が最終決定となる。
許容範囲の境界線―ミナレット、ブルカ、難民
スイスの制度は比較的寛容かもしれないが、やはり許容範囲をめぐる議論はある。モックリ氏は議会がイニシアチブの適否を審査することに疑問を呈し、内容の健全性よりも「政治的な望ましさ」が考慮される可能性があると指摘。「提案の適否は法的な問題なのだから、裁判所が判断すべきだ」と主張する。
前述の統一性要件をめぐっては近年、許容範囲の境界線上にあり、限度が試される提案がなされてきた。例えば、環境団体エコポップ(Ecopop)が主導した2014年のイニシアチブ外部リンクは、移民流入の抑制と国外での産児制限を組み合わせていた。モックリ氏によれば、これは明らかに「一部を支持し、残りを支持しない」ことが起こり得る提案だ。最終的に否決されたものの、同氏の見解に従えば、内容の統一性に不備のある案が投票にかけられたことになる。また、右派・国民党(SVP/UDC)はイスラム寺院の尖塔「ミナレット外部リンク」の新設を禁止する提案や、ブルカ外部リンクの着用を禁止する提案、外国人犯罪者を個別の事情を吟味せず自動的に国外追放外部リンクする提案、移民受け入れを制限する提案を行ったが、いずれも国際的に認められた権利について疑問符が付く内容だ。すべてイニシアチブの要件を満たすと見なされ、投票で可決されたものの、議会は国際法上の義務を遵守しながら法制化するという難題に直面した。
最近では、国境管理の強化と不法移民の入国阻止を主張する同党のイニシアチブにより、論争が再燃している。連邦政府は9月、この提案はコストが高いうえに非現実的だとして不支持を表明したが、「不認容」の判断を勧告することは見送った。国民投票は2028年までに行われる見通しで、議会はそれまでに提案を審議する。左派・緑の党(GPS/Les Verts)は国際法との整合性を問う方針だが、メディアグループ「タメディア(Tamedia)」傘下の各紙によると、協力関係にある左派政党の間でさえ不認容への支持集めが難航する見通しだ。
分極化と規定の解釈
最後の論点は、提案の適否をめぐる規定に解釈の余地があることだ。その限界がどの程度で、どこで無理が利くか、たとえ市民は知らずとも多くの政治家が把握している。オーストラリア国立大学の政治理論学者で弁護士のロン・レビー氏は、こうした実態を理由に挙げ、国民投票の結果だけでなく実施の判断でも政治文化が重要な役割を担うと指摘。世界で分極化が進む現在、「直接民主制の正当な使用は縮小し、濫用が広がっている」と警告する。
レビー氏によれば、直接民主制の濫用は独裁者による国民投票の操作や抑圧に限られず、民主主義が確立した国でも起こり得る。検証の仕組みが全くない場合はなおさらだ。例えば、カナダのケベック州の分離・独立をめぐる過去の住民投票は「意図的に誤解と混乱を招く」ものだった。その後、提案に明瞭さを求める連邦法ができたものの、規定の精度は高くなく、「むしろ曖昧」な内容にとどまっている。
同氏によると、オーストラリアでは直接民主制が地方レベルで盛んに活用されている。だが、その活発さの一方で、根本的な理由で許容され得ない住民投票が行われることもある。例えば、一部の行政区は近年、フラッキング(水圧破砕法)のような管轄外の課題でさえ投票にかけてきた。国レベルに目を向けると、一般大衆が「専門的な問題や社会的分断を呼ぶ問題に発言権を持ち得るのか、持つべきなのか」という古典的な懐疑論や、直接民主制を求める声の大半が「新興ポピュリスト運動」に起因する傾向は、同国にも存在する。 レビー氏によれば、オーストラリアでの今後の展開は予測しにくいという。直接民主制の拡大を求める声はさらなる行動につながり、存続していくのだろうか。存続した場合、どれくらい厳格、または寛容な利用規定ができるのだろうか。結局のところ、すべての国が歴史や文化など自らの体制を構成する要素に基づき、それぞれのやり方で直接民主制を扱うことになる。直接民主制のすべてについて言えることだが、提案の適否をめぐる線引きに万国共通のルールはない。
編集:Benjamin von Wyl/ts、英語からの翻訳:高取芳彦、校正:大野瑠衣子
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