モーションデザインを先取りしたスイス・デザインの哲学 ニューヨークで展覧会
1コマ1コマ根気よく作られたフィルムから現代のインターフェースへ。バーゼル造形学校で再発見された先駆的映像作品を中心にアナログ時代の実験と現代の視覚言語をつなぐ展覧会が、5月中旬、米ニューヨークで開かれた。
おすすめの記事
ニュースレターへの登録
ロウアー・マンハッタンにある高層ビルの19階。白いブロック体で書かれた「EAU」の文字が黒地のスクリーン上で点滅する。その反対側では「H20」の黒い字が白を背景に瞬いている。環境音楽が流れる中、来場者がいくつものプロジェクションに見入っている。
「フレームの中のフレーム――動くスイス・デザイン」展は今年、在ニューヨークスイス総領事館によりニューヨークのデザインイベント「NYCxDESIGN」に出展され、スイス・デザイン史の比較的知られざる一章――モーションデザインへの貢献――を米国に紹介する初の催しとなった。
マンハッタンの摩天楼とイーストリバーを一望する会場では、マルチスクリーンを駆使したインスタレーションに200本以上の実験的ショートフィルムが映し出された。これらのフィルムは、1960年代末から1990年代にかけバーゼル造形学校で制作された後、長い年月を経て再発見されたものだ。テキストやイメージ、インターフェースなどのグラフィック要素をアニメーション化するモーションデザインは、今やデジタル時代に欠かせない視覚言語となっている。その萌芽となるアイデアの多くをはるか昔に先取りしていたのが、会場で流れる様々な映像だ。
同展キュレーターのクリスティアン・ヘレン氏は、スイス・デザインの「モジュール性、直角、装飾の排除、ピュアなデザイン、直線」といった伝統的要素を再訪すると同時に敷衍(ふえん)したと話す。「イメージを壊さないまま新しいものを付け加えたかった」
そのためアーティストやデザイナーらの協力を仰ぎ、映像をただ流す代わりにプロジェクションや照明、音響を駆使し、さらにスイスを象徴するインテリア製品やデザインを組み合わせることにより、没入感を感じさせるインスタレーションを作り上げた。
展示は、異なる時代に生まれた作品を集め過去と現在をつなげる一方で、グラフィックデザイン、ムービングイメージ及びプロダクトデザインという3者の関係性にも重点を置いた。アイデアの実現に協力したのは、アーティストのダーン・コザイン及びユリア・シェーファー、デザイナーのベン・ガンツ及びパンター&トゥーロンだ。インテリア要素としてはヴィトラ、USM、ルックシュトゥール、レーニの製品が選ばれた。
フレームとしての時間
ショートフィルムを制作したのは、バーゼル造形学校に1968年新設された「フィルム+デザイン」クラスの学生らだ。アーミン・ホフマンが提唱し導入されたこの画期的なクラスは、その後ペーター・フォン・アルクスの指導下で充実が図られた。両者は共にスイス・グラフィックデザインの鍵となる存在だ。同クラスは当時のテレビ、それに頭角を現しつつあった電子媒体を取り上げ、グラフィックデザインの視点からいち早くムービングイメージにアプローチしたことから、今日モーションデザインと呼ばれるものの先駆けともみなされる。
スイス・デザインを貫く諸原則をムービングイメージに応用し、タイポグラフィーやリズム、シークエンスを物語装置ではなく構成要素として扱う講義を通じ、学生たちはフレームやその時間的処理という単位で思考するよう訓練された。こうして出来上がったのが白黒の動くビル、ぐるぐると回る木のこずえや半開きの赤い唇といった映像で、点滅しながら連続するイメージや極小の変化、色と形の重なりといった手法が特徴的だ。
これらの作品についてヘレン氏は「非常にコンテンポラリーであること、そして今我々が生きている時代とも共鳴することに感銘を受けた」と話す。
フォン・アルクスはあるインタビューで、学生らは映画を作るに当たってまずはタイポグラフィーやグリッドの構成などの視覚的テンプレートを作り、それから「スコア」を使ってこれらの要素がどのように入れ替わり、移動、変容していくのかを、時間軸に沿って細かく決めたと説明した。
その作業は、映画用カメラを使い1フレームずつ撮影するという骨の折れるものだった。完成品を見ることは、フィルムが映写されるまで叶わず、そこでようやく各シーケンスはひとまとまりの動きとなった。「グラフィックデザイン教育という枠組みの中このクラスで目指したのは、結果が分からない状態でデザインをするという想像性の養成だった」(フォン・アルクス)
その後数十年を経てこれらのフィルムが再発見されたのは2012年、学校が移転準備をしていた時だった。フォン・アルクスは2年あまりをかけて同僚らと一緒にコレクションを見直し、残すべき作品を選んだ。完成したアーカイブは上映時間にして27時間に及ぶ。フィルムはスイス視聴覚財産保存協会(Memoriav)とバーゼル芸術デザイン大学(北西スイス応用科学芸術大学FHNW)の協力で保存処理とデジタル化が行われ、現在は一般公開されている。
フォン・アルクスは「フィルムが今も見られるのはデジタル化のおかげだ」と語っている。「何よりもこれらの作品は、当時呼び起こしたようなユニークで意外性に満ちた視覚経験を今も生み出す力がある」
プロパガンダへの反動
スイスのモーションデザインは、20世紀半ばにスイス・グラフィックデザインの伝統から派生し発展した。1950から1960年代に「スイス・スタイル」として国際的に知られるようになったこの流派は、イラストレーションの代わりに写真とグラフィックシンボルを多用し、削ぎ落としたビジュアルデザインや限られた色のチョイス、ヘルベティカなどサンセリフのフォント、グリッドシステム、そしてクリーン且つアシンメトリーなレイアウトなどを特徴とした。
FHNWバーゼル芸術デザイン大学でビジュアル・コミュニケーションを研究するミヒャエル・レンナー教授によると、第二次世界大戦後、スイスのグラフィックデザイナーは客観的アプローチによるコミュニケーションへの指向を強めた。そこには、見る人を誘惑したり説得したりするのではなく、情報としてのビジュアルメッセージを作るという目的があった。
同氏は「ビジュアルメッセージの客観化が強調された背景には、プロパガンダ体験への反動もあれば、グラフィックデザインをアートとは明確に異なる分野として確立させようという意図もあった」と説明する。
こうした考えは後にムービングイメージの分野にも波及し、初期のフィルムアニメーションからビデオテクノロジーへ、さらに最近ではデジタルプラットフォームやソーシャルメディアへと、モーションデザインの進化を後押ししてきた。今日、モーションデザインはあらゆる場所に存在し、アプリやウェブサイト、交通システム、広告キャンペーンを始め多くのシーンでユーザーのガイド役を担う。
「企業の台頭、映画産業の拡張、そして複雑化の進む世界における説明需要の増大など様々なことが重なり、より広いスイス・グラフィックデザインという伝統の一部であるスイスのモーションデザインの重要性が高まった」(レンナー氏)
バーゼル造形学校の「フィルム+デザイン」クラスも、世界中から学生が集まることでそうした影響力の強化に寄与した。多くの外国人学生は、母国に戻った後、スイスで学んだアプローチを仕事に取り入れた。
同校で学んだ人物には、エイプリル・グレイマン、フィリップ・バートン、テリー・アーウィンなどのデザイナーがいる。米出身のマルチアーティストでアクティビストのマリーン・マッカーティは、「アメリカン・サイコ」や「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」「ベルベット・ゴールドマイン」といった映画のタイトルバックを制作したことで知られる。
「当時の学生が現在就いている職業をみると、芸術家やグラフィックデザイナー、映画監督、カメラオペレーター、タイトルデザイナーなど、とにかく幅広い。学んだ技術を模型作りに生かす建築家もいる」(ヘレン氏)
展覧会を他の会場で開催する予定は今のところ無い。ヘレン氏は、フィルムが呼び起こした反響がニューヨークのイベント後も広がり、スイスのモーションデザインへの好奇心を生むきっかけであり続ければと願う。
会場を訪れた人が見学後も関心を持ち続けてくれるなら、「その人たちが記事を探して読んだりアーカイブをオンライン視聴するなどして、いつかそれらの資料を活用するかもしれない。そしてそれにインスパイアされることがあるかもしれない」(ヘレン氏)。
編集:Catherine Hickley/ds、英語からの翻訳:フュレマン直美、校正:宇田薫
おすすめの記事
ダダから具体芸術へ チューリヒがモダニズムの戦場だった頃
JTI基準に準拠
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。